一応あぁちゃん病状memo

ありの儘様々な症状記録を読んで下さり感謝

複雑な心境

2020年09月29日 | 症状関連記事

一昨日東京新聞記事に竹内結子さんと上下に記事が掲載されてだ。

上の段は女優・子供二人の母親・奥さんでありながらお亡くなり、悲しいというか何故かなぁ・・疑問?が。。。

下の段には病気と向き合いながら活動している塚本明里さん記事を読み、、障害があっても目一杯頑張りながら生きる人もいるのに残念な気持ちや複雑な気分になってだ。 

せっかくの記事をリンクして保存。

来年2020年オリンピックには岐阜県聖火リレーランナーとして参加するようなので・・頑張って下さい!

 

塚本明里Amebaオフィシャルblog

#塚本明里#中日新聞#東京新聞#タレント#モデル#岐阜県#筋痛性脳脊髄炎#線維筋痛症#脳脊髄液減少症 #家族

 

<家族のこと話そう>病と歩む力くれる母 ご当地タレント・塚本明里さん

3つの難病を抱えるご当地タレント 塚本明里さん 腫れ物扱いしない母のおかげで明るくいられる

中日新聞(東京すくすく) – 2020年09月28日(月) 12時00分

「線維筋痛症」、髄液が減るため頭を起こしているのが難しい「脳脊髄液減少症」で、高校2年の時に発症。最初は風邪かと思いましたが、治らない。異常に体が重く感じ、締め付けるような痛みにも襲われました。 母と2人で病院を回り、1年半後、16人目の医者に出会ってようやく病名がついた。痛みを疑いの目で見られることもあって、母は赤飯を炊き、父や二人の兄とともに家族全員で喜びました。

 今は週に二日、麻酔注射を四十カ所にしています。痛みが和らぎ、それから三時間だけ休めます。普段は朝起きると全身がぎゅーっと絞られるような痛み。体調によっては一日動けません。頭を起こし続けていると倒れてしまうため、普段は横になっています。
 移動はリクライニング機能のある車椅子。前が見えず自分で動かせないので、外出はいつも母にサポートしてもらっています。母は私の介助のために仕事をやめました。それでも、「娘がいろんなところに連れて行ってくれる」と言ってくれます。
 母は明るくてアクティブ。料理も裁縫もできてコミュニケーション力も抜群。「明里の心は変わってない」と言い、病気になる前と変わらず接してくれています。腫れ物を触るように扱われていたら、普段の自分でいられなかったと思う。心が明るくいられるのは、母のおかげです。
 車椅子で、友人のモデルを応援する姿が、今の芸能事務所の社長の目に留まり、商店街のゆるキャラの広報担当として活動を始めました。当初は、十分に活動できない自分にいら立つことも。痛みがつらすぎて、周囲へ感謝の気持ちを忘れたこともあった。そんな時は母に叱られました。「みんなのおかげで仕事ができている。一人でできると思わないで」と。
 一つ一つ、今できることをこなすことで、成功体験が増えた。できないことを数えるのではなく、できることを数えるようになりました。
 つらくて家でつぶれた姿は母しか知らない。悲しくて泣いたことはないけれど、悔しくて一人で泣いたことはある。そんな私を見守ってくれ、本音が言えるのも母です。
 父は「自分が稼ぐから、お金はいくらかかってもいい」と治療することに対して背中を押してくれました。
 夢は、車椅子の姿で朝の情報番組に出ること。いずれ、金銭面や体調も含めて自立できることが、家族への恩返しになると思っています。   *****聞き手・長田真由美/写真・布藤哲矢*****

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