それが、トイレに行き、顔を洗ってパソコンの前に座って時計を見たら4時57分を指している。
ん? と目をこすってみたが、間違いはない。もうほとんど5時ではないか。
いったいどういうことなんだろう。
目を覚ました時点で、確かにちょっとぐずったことは確かである。
でもそれもほんの数秒のことで、すぐに暖かい布団からは決然と別れを告げたはずである。
しかし、一瞬と思ったぐずりは、何と1時間にも及んでいたのだ。
春眠不覚暁
處處聞啼鳥
夜来風雨聲
花落知多少
孟浩然の「春暁」と題する良く知られた漢詩だが、昨日立春を迎えたばかりとはいえ、まさに春の眠りは心地が良いのである。
これからは気を付けないとちょくちょくこうした寝坊をすることだろう。
まぁ、ことさら自然に逆らうこともないのだが、怠惰に堕してしまっては如何ともしがたいのである。
それにしても昨日の立春は絵にかいたような立春で、‟春は名のみの風の寒さや”だったが、日なたではポカポカと暖かく、待ちわびた春がやってきたという実感を味わえた。そして今朝の朝寝坊。
今日は昼過ぎから雨も降りだすというから、まさに西高東低の冬型の気圧配置は緩み、お天気そのものも春のパターンに入りつつあるのだ。
これからはまさに三寒四温の繰り返しで、一気に春に向かうのである。
赤い鼻緒のミヨちゃんともども喜びたいと思う。
ボクもいよいよ冬眠明けで、バラの寒肥やりに精を出した。
この時期にはまだ眠っているバラたちにたっぷりの肥料を施すことで、バラがいつ目覚めてもいいように、目覚めたらすぐに栄養を摂取できるように備えるためである。
馬糞から作られたたい肥と油粕の固形肥料をたっぷり与えるのである。
初夏にきれいな花を咲かせてもらうには、まず避けて通れない大切な作業なのである。
鉢植えのバラ6つとクレマチスの鉢にたっぷり施し、それ以外の植物を植えている鉢にもあげたから時間がかかってしまった。
鉢植えにしているバラの中には葉を出しかけているものもあり、これで一安心である。
地植えに移って西側の道路に面したフェンスのローゼンドルフシュパリースホープにたっぷり与えたところで作業は中断したが、残りは地植えばかり10本である。
ついでに草取りもしながらする作業は、庭仕事の楽しさ、土いじりの楽しさを味わわせてくれて飽きないのである。
伊豆函南の修禅院の亡くなった和尚が地べたにはいつくばって、何時間でも草取りに精を出していたという気持ちが良くわかるのだ。
土の匂いが良いのか、はたまた這いつくばる姿勢そのものが良いのか、人は地べたに向かって何か黙々と作業をすると、心が落ち着くものであるらしい。
こうなってくると晴耕雨読というものがピタリとはまってくるのである。
‟晴読雨読”では様にならないし、飽きちゃうんだよな。
わが家のベランダでは白いアネモネに続き赤いアネモネが開き、期せずして紅白のアネモネが立春を寿いでいる
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事