東北地方の太平洋岸を襲った東日本大震災から7年。
膨大な数の犠牲者の霊を弔い、被災した人や現地の復興を祈願する集いが今年は長谷の大仏の前で繰り広げられた。
この祈願祭が一風変わっているのは鎌倉の神道、仏教、キリスト教がそれぞれ宗旨の垣根を取り払い、しかも同じ宗教内であっても宗派の違いも乗り越えて一堂に集い、祈りをささげることである。
したがってうつむき加減の大仏さんの前で白装束の神官たちが「大祓詞(おおはらえことば)」を奉じ、キリスト教の神父と牧師が並んで「主の祈り」をささげ、アメイジンググレイスまで独唱する。最後は仏教界を代表して今年は材木座の浄土宗大本山光明寺の法主が観音経を唱えるといった塩梅である。
手渡される印刷物には大祓詞も主の祈りも観音経も記載されているから参列者も声を合わせて慣れぬ文字を追い、特有の抑揚に戸惑うのだが、鎮魂と復興祈願という敬虔な目的の前には多少の舌のもつれもナンノソノなのである。
アメイジンググレイスまで聞かされた穏やかな顔つきの大仏さんはさぞかしビックリしたことだろうが、祈りと願いはしかと胸に刻み込まれたに違いない。
青い空と大仏さんの温顔とアメイジンググレイスの取り合わせはなかなか良かった。
こういう宗教界の宗旨を乗り越えた大同団結というのは、ありそうでなかなか実現できていないのが現状だろうと思うのだが、この鎌倉では「鎌倉宗教者会議」というものが震災をきっかけに組織され、活動を続けているところがユニークである。
鎌倉では日ごろから狭い地域で神官や神父・牧師、坊主が袖をこすり合わせているのだから、何か一緒にやろうということになって「オイきた! 」とまとまりやすかったんだとは思うが、こういう小さな一歩が大切なのだ。
祈願祭は大地震が発生した午後2時46分に合わせた黙とうから始まったが、それに先立つ朝の円覚寺の日曜説教坐禅会がいつものように開かれ、横田南嶺管長の説教もこの震災に絡む話で、それはそれで胸に刻むところがあったが、管長の後に気仙沼からやってきた高校2年生の男子生徒の話は特に心に響いた。
円覚寺と建長寺の若手和尚たちが中心となって復興の手伝いをするうちに、奨学金も集めるようになって、そのお礼に駆けつけてくれたのである。
彼は被災当時、小学校4年生だった。
両親と中学生の姉の4人で暮らす、どうということのない家庭だったそうだが、母親だけが姿を消してしまったんだそうである。
家族で手分けをしてあちこち探しても手掛かりは得られない。そうして気をもんでいるところに母親が乗って逃げたであろう車が発見されたんだそうだ。
泥まみれの車の中には4人分の下着などが残されていたという。
彼は「おそらく渋滞に巻き込まれて車を置いて逃げようとしているうちに津波にさらわれたんだろう」と淡々と話した。
そして高校生らしく将来の展望や地震の教訓や心構えなどをひととおり話したが、「こういう話って人事ですよね。ボクだって聞く側に回っていれば多分そうです。でもやっぱりそれじゃぁいけないんです」とクールな口ぶりである。
そして「僕はこの7年間、涙を流したことは1度もありません。なぜだか分からないけれど出ないんです」という。
この一言が一番胸にしみた。彼が一滴もこぼしたことがないのに、ボクの方がちょっとウルッときかけて慌てた。
そしてハッとした。彼はまだ震災を乗り越えられてはいないのだと。
すっかり春めいた大仏境内には大勢の観光客が訪れていた
午後2時半過ぎには神官たちを先頭にキリスト教の神父や牧師、仏教の坊さんたちが行列を作って大仏前に集まった
神官が大祓詞を奏上し
神父がアメイジンググレイスを独唱する
最後は材木座の光明寺の法主が観音経を唱えて「東日本大震災 追悼・復興祈願祭」は終了した
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heihoroku
ろこ
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