生物図鑑などによるとインドや中国南部で冬を過ごし、日本には5月中旬ころ渡って来ると書かれている。
はて、もう中旬を通り越して下旬に突入するが、どうしたことか。
このホトトギスは正岡子規の名前にもなっているように、日本人にはなじみの鳥だが、ちゃっかりした習性も持っているようである。
その代表がタクラン。漢字で書くと「託卵」。つまり、産んだ卵は自分で温めず、ウグイスなどの巣にうみつけて温めさせるんだそうな。
それはあんまりだ、と思うのは普通の人間の世界のことで、ホトトギスにしてみれば当たり前のことだろうし、人間にも時折似たような親が存在するから自然界というものは多様な生き方を受け入れているのだ。
託卵するゆえに、渡ってくる時期も重要だという。
なぜなら、ウグイスが卵を産んで温める時期と重ならないと、託卵の意味がないからである。
ウグイスの子育てはもう始まってるんじゃないの。
グズグズしてると乗り遅れるぜ。
21日は句会が予定されていて、吟行場所は逗子の蘆花公園だという。
東京にも同じ名前の公園があるようだけれど、行ったことはない。
もっとも逗子の蘆花公園とも縁がない。
名前の由来となった徳富蘆花と言えば代表作は「不如帰」である。
これも読んだことはないが、その石碑が逗子海岸の沖合に建てられている。
海沿いを走る国道134号線が開通する以前、確か砂浜はこの石碑の辺りまで延びていたような気がする。
だから、細い砂浜を伝って近くまで行けたのだが、わずかな砂浜をつぶしてその上に道路を作ってしまったため、道路が高い城壁のように行く手を遮り、今は大きく潮が引かないと歩いては行けないようになってしまった。
文字通りの「不如帰」である。
ホトトギス同様、この時期になるとよく目にするのはツバメだが、わが家周辺ではまだ見かけない。
あの鋭い飛翔は見ものだし、第一、天気予報代わりになるのだ。
すなわち「ツバメが低く飛ぶと明日は雨」。
駅の改札口の真上あたりに巣がかかっていたりして、その下を大勢の勤め人が大急ぎで通り過ぎてゆく。
あるいは、朝の登校時間に傘を差した小学生の間を縫って飛ぶ姿を見かけたり、ヒトと共存する鳥でもあるのだ。
ごく当たり前の何気ない光景なのだろうが、こうした季節の使者ともいえる存在の姿が見えないと、何となく落ち着かないものである。
どこか自然の一部に狂いでも生じているようだと一大事である。
わが家の「ブラッシング・アイスバーグ」。エダシャクにかじられた葉っぱも愛おしい
茶色の「空蝉」
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