さして広い境内ではないが、よく手入れされた孟宗竹の竹林が広がり、耳をすませば葉擦れの音がさやさやと聞こえてくる。
そしてまた禅宗特有の張りつめたような、凛とした緊張感が境内にそこはかとなく漂うところもまたこの寺に魅力を添えている。
ただ惜しむらくは人気があり過ぎて、竹林の間を折れ曲がってつけられている散策路に人が行列を成すようになると、進むのに一苦労する。
それでなくても渋滞するところにいちいち写真撮影で立ち止まる人があちこちに現れるからもうニッチもサッチもいかなくなることもしばしばだ。
すると敷石を外れて竹林の縁を踏む人が出てきて、竹林の一部は踏み固められてしまうのだ。
確か、五月の連休のころになると近年では入場制限をしているように聞いたことがある。
さもあらあんと思う。
そうでもしないと、ここの凛とした佇まいが維持できないのなら致し方ないことなのだ。
誰もがその静謐と葉擦れの音を聞きたいと思ってやってくる。
しかし尋ねる拝観者一人一人がその静謐を壊す存在でもあるという矛盾…
そういうことが根底にあるのかどうか。
昨日正月2日に、実に久しぶりに報国寺の庭を見たいと思って出かけたところ、山門がぴたりと閉ざされていて、おやっと思った。
閉じられた門扉には「1月3日まで一般の参拝は休止します。檀信徒のみ通用口へお回りください」という張り紙があって、暮れの29日から観光客を締め出していることが分かった。
鎌倉五山の第1位建長寺、同2位円覚寺など鎌倉の禅寺の多くはしっかりとした門扉を備えている。
そして門扉は日の出過ぎに開き、日没とともに閉じるのが常である。
でもそれが1日中閉じていることはまれである。というより、そんな話は聞いたことがない。
時代は変わりつつあるようである。
守るべきマナーが守られなくなれば、その漬けを払わされるのが誰なのかは容易に察しが付くというものだ。
最近増えつつある外国人観光客の一部のマナーの悪さには目に余るものがあるのも事実だ。
遅まきながらインバウンドを増やそうとしている中で、クリアすべき新たな課題が浮上してきているというべきなのか。
大企業の安い労働力確保要請に盲目的に追従するだけで熟議や熟慮を欠いた結論を重ねれば、こうした問題は次々に起こるだろう。
最大の被害者は労働力として招き入れられる人々だろうが、それだけにとどま?るものではなさそうなことを報国寺の門扉が教えてくれていると言ったら大袈裟か?
そこに日本人の不心得者も加わるから話は一層厄介なものとなるのだ。
報国寺の前に立ち寄った杉本寺
3体の十一面観音像を有する鎌倉・坂東三十三観音霊場第一番札所。天平6年(734年)に創建された鎌倉最古の寺院で
その素朴なたたずまいは何度訪れても魅力的で好きな寺の一つ。いつ行っても観光客が少ないのもいい
創建時からの階段はすり減ってしまい、今は使われていない
報国寺門前でUターンした後訪れた鎌倉五山の第5位浄妙寺 ここでポットに入った温かいほうじ茶をいただき、一息入れる
昼過ぎの鶴岡八幡宮境内だけは初もうで客でごった返していたが、初もうではパス
もう少し空いたら顔を出そうと思って、遠くからお辞儀だけしておいた
八幡宮に通じる段葛の日の丸の列には若干の違和感あり
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