体長が10センチほどと決して大きいわけでもなく、言ってみれば一口サイズなのだが、コンロで焼くと小さな火柱が上がるほど脂が乗っているのである。
塩は使っているはずだが、口に入れても塩を感じることがないくらいに薄塩である。
ちゃんと竹串に通されていて、5、6年前までは一串5匹並んでいたものが4匹に減ってしまい、実質的な値上げになってしまったが、100円で売られていた。
こいつをあぶって脂をにじみださせ、醤油ではなくオリーブオイルにつけ、白でも赤でもいいのだが、わが家では安物の赤ワインの肴として食べるのを無上の楽しみとしてきたのである。
しかるに、2月に店先から姿を消して間もなく1年になるというのに、いまだに漁がないのだそうだ。獲れないのだという。
どこに消えてしまったのか、原因は何か。店の人も満足に答えられないでいるが、寂しい限りなのである。
手に入らないとなると、必要以上に恋い焦がれる思いは募るものなのだ。
木枯らしや目刺にのこる海のいろ 芥川龍之介
シラスの方は波があったものの、年間を通して獲れていたようである。
去年は不漁続きで、シラス料理を看板に掲げる鎌倉や江の島の飲食店では、よその海から運ばれたシラスを使って切り抜けていたようだが、今年はそんなこともなかったらしい。
わが家でも、まあまぁ口にできたのである。
さすがに生シラスは赤ワインというわけにはいかないが、冷えた日本酒との相性は抜群で、これが食卓に上る夕餉は大いに楽しませてもらったものだ。
このシラスも相模湾では資源保護のため年内いっぱいで禁漁に入る。
再開は東日本大震災と同じ3月11日である。しばしのお別れなのだ。
つぶらなる瞳がにらむシラスかな 花葯
庭にジョウビタキがやってきていると妻が言う。
カツラの木に取り付けたものの、空き家のままの巣箱をのぞいたりして気にしている風情だったという。
残念ながら目撃できていないが、巣箱ならどうぞお使いください、家賃はタダにしておきますから、という気分である。
冬になると越冬のためシベリヤや中国東北部辺りから渡ってくる冬鳥である。
スズメと同じかそれより小さいくらいの大きさで、メスは全体に薄茶色の羽毛をまとっていて地味だが、オスは頭に白い帽子をかぶり羽と尾が黒、胴体がオレンジ色の衣装をまとった、なかなかおしゃれな鳥なのだ。
オスメスともに羽の一部に白のアクセントが入っている。
人が近づいてもなかなか逃げないので、よく観察できるのである。
今年もいつの間にか冬鳥が渡ってくる時期になってしまった。
数日前、バラのトゲとの格闘を終えて家に戻ったらユズ湯が用意されていて、それで初めて、あぁそうか、今日は冬至だったのかと気づいたほどである。
今年は忘れがたい年になった。
一陽来復。日はまた力を取り戻してくるのだ。
水洟(みずはな)や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介
横須賀の立石海岸からの富士山(12月17日)
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