昨日は横浜イングリッシュガーデンで会議があったので出かけて見たが、一部植栽が遅れている部分はあるものの、爛漫の春を待つ準備は整いつつある。
晴れ渡っていて風がなく、横浜駅から川沿いに歩いて行ったのだが、汗ばむほどだったのは何ともうれしい。
河合伸之スーパーバイザーによると、この暖かさのため、バラをはじめとする植物の動きは早かった去年よりさらに10日から1週間早めだという。
サクラの蕾はまだ固いが、来週は17、8度の気温の日が続くようだから、それこそ一気に胎動が始まるだろう。
去年はゴールデンウイーク中だったバラの開花も、今年はさらに早まりそうである。
本格的な春の到来は願ってもないことなのだが、物事には順序とか秩序があるように、何も冬から一足飛びに季節が移ろう必要はない。
微妙な変化を積み重ねて、少しずつ前に進んでくれればよいのだ。
日本人のきめ細やかな心根などというものもそうした、ゆっくりとした季節の移ろいを敏感に感じ取りながら育まれてきたものだろうし、移り変わる季節の余韻というものを味わうことも大切である。
白黒のはっきりした激しい世界に身を置くより、それ以外の色彩を併せ持った世の中で過ごす方がよほど豊かではないか。
黒か白か、右か左か、を迫るような二者択一的な考え方が地球上を覆い過ぎていないか?
そうした狭い思考の果てにテロが頻発したり、国民を第一に考えないならず者国家と言われるような国が生まれてくるのである。
大国の中にも辺りを蹴散らしてはばからない乱暴者もいるし、そんなところが寄り集まって特定の国を非難など出来るのかと、チャンチャラおかしいのである。
四季の移ろいを愛おしく思えるような人々なら、目的のためには手段を選ばずのような生き方、判断は出来っこないはずなのだが…。
灼熱の大地や乾ききった世界に暮らす人といえども、身の回りに心を動かされるような自然が存在しないとは思えない。
要は白か黒かを峻別するような画一的ではない、目に見える強烈な色彩だけではない微妙な色合いを感じ取れる感性なり、教育を気長に重ねることだろう。
アフガニスタンで頭に銃弾を浴びたマララ・ユスフザイさんが「何をさしおいても教育」「1冊の本、1本のペン」と繰り返し口にするのはまさにそういうことを指しているに違いないのだ。
独裁的な指導者や権力にとっては、国民に勉強されて目覚められては困るのだろうが、百年も二百年も続くような独裁国家などありはしない。みな早々に滅ぶものなのだ。
アベなんちゃらが突如「在任中に憲法改正」なんぞと、うそぶき始めたのも二者択一の思考に他ならない。
権力を縛るために憲法があるんだということすら理解できない貧弱な頭脳に、勝手な振る舞いを許すわけにはいかないのだ。
昨夜は後輩と豚足屋で豚の尻尾と舌を肴に焼酎をあおってきたので、いささか二日酔い気味である。
おまけに羽のついた虫が電気スタンドの周りでもがいていて、うっとおしい。
そういえばぼちぼち啓蟄である。
ならば、代わりに魑魅魍魎には床についてもらおうではないか。
何か支離滅裂になってきたか…。
花びらというものは陽に透けるので逆光で撮影するのも面白い。
数か所で新たな園路が整備され、違った景色が楽しめる。
今年のバラのせん定は樹高を低く抑えるために、強めに行った=いずれも横浜イングリッシュガーデン
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