平方録

如意庵の抹茶

「あそこでお茶が飲めるのよ」と妻に誘われた。

あそことは円覚寺の塔頭のひとつ「如意庵」。
普段は非公開だが、水、木、金曜日に庭を眺めながら抹茶とお菓子がいただけるという。
第2土曜日には予約すればランチも食べられるそうだ。
名前もちゃんと付いていて「如意庵茶寮 安寧an-nei」という。

円覚寺には毎週通っているので私の方が詳しいはずなのだが、金澤翔子さんの書を見に行った妻がたまたま「発見」してきたのである。
日曜日にしか行かないので知る由もなく、己の知識、体験が如何に限定的で、狭い範囲のことでしかなかったのかという事を思い知らされた。
思わぬところで“牛に引かれて円覚寺参り”である。

いつも門前払いされてきていたが、門から覗く限りはよく手入れの行きとどいた庭の一端が見え、一度は奥深く入り込んでみたいと思っていたのだが、あっけなく庵の中に上がり込めてしまった。
11時半過ぎだったのだが、客は誰もおらず、案内された庵の内部は庭に面した廊下に2人がけのテーブルといすが並び、座敷にも赤い毛氈の上に4人がけのテーブルがいくつか並んでいる。

注文したのは抹茶と生菓子のセット。
生菓子は逗子のお菓子屋さんのものだそうだが、桃をかたどったもので、とても色気を感じさせ、頬ずりしたくなるような美しさだった。
甘さも控えめで、素晴らしい。
出された小さなお盆にはツバキの切り花が添えられていて、珍しい形をしていたので聞くと「紅唐子椿」というそうで、住職が切り取ってきたものだという。

案内も説明もしてくれた女性がとてもきれいで品のある人だなと思っていたら、住職の奥さんで、「いろはにほへと」という円覚寺の横田南嶺管長の著作をゆっくり読んでもらおうと始めました、という。
なるほど。どのテーブルにもこれまで発行された3冊がきちんと添えられていて、ペラペラめくるには格好である。
妻がゆっくり読みたいというので、その1を500円なりで買ってかえった。思惑通りなのではないか…。

座って眺める庭は人の手が入っているにもかかわらず、自然のままを感じさせる素朴なもので、山里の一軒家の座敷から外の景色を眺めているような気持にさせられ、私は枯山水や造りこまれた和風庭園などより、数十倍も好みである。
時期外れなのだろうが、午後に差し掛かる光線の具合なのか、苔の淡い緑が何とも印象的で、これに常緑樹の濃い緑が織りなす濃淡が実に見事。眺めているだけで気持ちが安らいで行くのが分かる。
表現は違うが、妻も同じような感想を漏らしていた。

どうぞ遠慮なく中を見学してくださいというので、お言葉に甘えてご本尊やらふすま絵やら掛け軸などをじっくり見させてもらった。
ご本尊の両脇の部屋の軸は足立大進前管長と朝比奈宗源前々管長のもので、当たり前だがまったく異なる筆致に感心した。
さすが禅寺の塔頭である。茶の湯とは切っても切れない縁があり、畳敷きの一角には炉が切られていて、茶席にも早変わりするようである。
何気ない花の生け方などもハッとさせられて楽しい。

帰りしな第2土曜日だけのランチのことを尋ねてみたら3カ月先まで一杯だという。しかし、12日は2時半からなら席を用意できますという。
いったんは失礼したが、「3月はちらしずしにしようと思っています。でもまだ試作中なんですよ。いちごとウドを散らしてみようと…」という説明が耳を離れず、引き返して予約をお願いしてきた。
どこそこに素晴らしい卵があり、それも散らすといっていたから、赤い実と白い茎と黄色の卵と、他にも色が添えられるだろう。見た目も味も素晴らしそうではないか。楽しみである。







庵内から眺める庭は自然のままの美しさ。



朝比奈宗源元管長(上)と足立大進前館長の軸。


抹茶と生菓子セット。



紅唐子椿と茶の炉。椿は紙にくるんでくれたので持ち帰った。素敵な心遣いである。


ご本尊が安置されている部屋の天井絵。寺の天井絵に龍が描かれるのは火除けのためだそうだ。檀家の画家が描いたもので、ここの龍は4本指だった。握っている玉は、見る場所を変えると不思議なことに七変化のように色が変わって見える。


玄関に飾られたモクレン。住職が活けるのだそうだ。
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