晩ご飯の後、テレビのチャンネルをいじっていたら往年のアクションスターの小林旭が歌っている場面が写った。
歌っていた曲は確か「熱き心に」で、見た瞬間は何か昔をしのんだ番組か何かで、そこに昔の映像を流しているのかと思った。
しかし、よくよく見るとあのスラリとしたスタイルのいいスターの姿ではなく、着ているものこそ白い背広風のステージ衣装を纏っていたが、まるで相撲部屋の親方のようにでっぷりと太っていたから、なおさら驚いた。
映画の「仁義なき戦い」シリーズで颯爽としたところを見せていた小林旭とは全くの別人のようだ。
写っていたのはNHKの歌番組で小林旭はそこに生出演していたのだ。
「熱き心に」の後「昔の名前で出ています」も歌ったが、あのかん高い声の「旭節」も健在なうえに、アップで写された顔は肉付きが良くふっくらしている上につやつやと張りがあって、いったい今幾つなんだと首をかしげたくなるくらい。
その直前に登場した森進一が「港町ブルース」を歌うその顔に脂けが無く、干からびたようにしわくちゃだったのを見ていたからなおさらだった。
1938年生まれの81歳だという。
あの若々しさは並大抵ではないだろう。日々の節制に加え、相当な努力があってのことだと思う。
同年代の「若大将」の加山雄三も真っ青だろう。
そして、持ち歌の題名通りの小林旭の姿にびっくりすると同時に、同じように任侠映画で人気を博した高倉健を思い出していた。
ボクらのような全共闘世代の中には「網走番外地」シリーズの健さんの無口でニヒルな姿に魅かれた連中が多いのではないか。
任侠シリーズを卒業した後は「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」などの作品での演技は素晴らしく、その後も印象に残る映画の主役を務め大いにしびれさせてもらった。
ここからがまぁ、本題というか何というか…
ボクはあの高倉健に似ていると言われていたのだ !
ある時、先輩の一人が何気ない会話の中で、ふと、「そういやぁお前の顔をしげしげ見ていると高倉健に似ているんだなぁ」とつぶやいたのだ。
何か酒の席だっかかもしれない。
それを聞いた他の先輩たちが「馬鹿も休み休み言え、あいつが健さんに似ているだなんて、冗談言うな」と怒り出して、その場はそれで話は打ち切りになった。
当時、健さんを神棚に祀るが如く大事に心の奥底にしまっている連中が隠れキリシタンのようにいたのだ。
そういう人間にとって健さんは雲の上の人であるばかりでなく、神聖にして犯すべからざる存在でもあったから、小生意気な後輩あたりが、仮にも似ているようなことがあるわけがないし、絶対にあってはならないことだったのだ。
そのことを理解したボクはそのことは決して会社では口にしないようにしていた。
その後、後輩からも「似ている」と言われたことがあったが、単に「そぉ ?」と無関心を装った。
家で妻に「俺、高倉健に似てるって言われるんだ」と話したことがあるが、「あらっ、そういわれれば似ているかもね」と言われた。
これは3、40代のころのことで、ボクの表情も少し引き締まっていたろうし、何より気力に満ち溢れていたのが大きいと思う。
今は老いさらばえつつあるから、締まりのなくなりかけている単なるジジイの顔になっていて、自分でも「今はちょっと違うな」と思う今日この頃なのだ。
その健さんが83歳で亡くなってもう6年が経つ。
命日は11月10日だ。亡くなった後、近親者での葬儀が済んだ後、その死が公表されたが、訃報を知らせる文章には「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という言葉が添えられていたそうだ。
格好いいんだよなぁ。