平方録

小学生恐るべし

三が日の三日目は近くに住む長女のところに、姫のはとこたちが長野から遊びにやってきた。
つまり、妻の妹の子の子供たちである。したがってボクとの血のつながりはない。けれども親戚のおじさんなのだ。

男の子ばかりの団子3兄弟なのだが、小6の長男は別行動。小4と小1はまだ母親べったりなのだ。
これに長女のところの間もなく2歳になる若が加わって、その相手をさせられたのである。
近所のファミレスで昼ご飯を食べ、腹ごなしにこれまた近所の公園でサッカーやらバドミントンやらでしばらく遊んだ後、長女の家に行ってドンジャラで遊び、おやつを食べて夕方4時ころに滞在先の東京に戻っていった。

姫も小2で、片時もじっとしていないような活発な子だが、こちらの男の子たちも田舎で伸び伸びと走り回っているせいか、動きは力強い。
サッカーボールで遊んでも、身のこなしが軽いうえに少しくらい体勢が崩れても、体の切れでそれを補うから何とかボールを処理する。
まったくもって子ザルのような俊敏さが、うらやましいくらいに小気味よい。

驚いたのは食欲で、小4がボクでも逡巡しそうなチーズが絡んだハンバーグにエビフライが2本加わったガッツリな一皿をこともなげに平らげ、小1の末弟も、これは残すだろうなと思ったが、直径35センチくらいのピザを難なく食べきって涼しい顔をしている。
こういう旺盛な食欲に挟まれて刺激を受けたのか、姫も頼んだスパゲッティーを、いつもなら時間をかけて食べるのだが、この時ばかりは、あっという間に平らげてしまった。

これらの光景は、正直言ってボクの描いていた小学生のイメージとはややかけ離れた、たくましい姿である。
そうなのだ。小学生といえども侮ってはいけないんである。
記憶力は驚くほどだし、感受性に差はあっても親やその周辺にいる大人たちに対する観察眼は鋭い。
実に細かいところまで見ているし、表現力が今一歩だからなかなか口にすることはないが、目につく行いに対して一つ一つ疑問やら批判やらを感じ、逆に随分と感心したり尊敬したりもしているものなのである。

言い方を変えると、完全に見透かされているのである。
子どもの無垢な目や感受性はごまかしの利かない鋭いものだということを証明している。
姫と一緒にいると、そのことを痛感させられるのだ。

こういう子どもあちがこれからの社会を背負っていくのである。
パキスタンでタリバーンから銃弾を浴びたものの九死に一生を得、国連総会に招かれて「1本のペン、1冊の本を!」と、平和と教育の大切さを訴えたスピーチをして感動を呼んだマララ・ユスフザイさんを引き合いに出すまでもなく、教育の中身とか教育のための環境を整えるのは大人の役目である。

いつの間にか格差が広がり、世の中全体がギスギスしたものに変わりつつある中、子どもにまでその類が及んでじっくり勉強することはおろか、満足な食事も口にできないでいる子が増えているという。「子どもの貧困」という、豊かな日本で信じられないようなことが広がり始めているのである。
「世界の中心で発言権を!」などと頓珍漢でズレたことを口にするアベなんちゃらは、肝心の自分の国の足元すら見えていないのである。
何をかいわんや、なのだ。

三が日はいつになく平穏に過ぎたようだが、日本と世界にとって嵐の前の何とかでないことを祈るばかりである。



ブラッシングアイスバーグ
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