野火(やか)焼けども尽きず 春風吹いてまた生ず
こういう禅語がありまして、元は中国の白楽天の詩なのですが、東北の被災地の復興も随分と軌道に乗ったろうし、と思い、ピッタリな言葉だと思って色紙にしたためて贈ったんです。
奈良の若草山辺りでは春が来る前に山を覆う枯れ草を焼き払い、真っ黒になった山はだから、春が来ると新しい芽が一斉に伸びてきて、全山が緑に覆われるわけですが、そういう何もなくなったところに復活の芽が生じる、まさにそれをイメージしたのです。ピッタリだと思ったのです。
そうしたら、ご丁寧にお礼のはがきが来たんですが、それを読んで私はしばし呆然としてしまったのです。
お地蔵さんを描いた絵と共に添えられていたのは「春風吹又生の色紙をありがとうございます。震災から5年、春風が待たれます」という短い一文でした。
私はてっきり、5年も経ったのだから春風が吹き始めているのだろうと思ったのですが、現地の人にはそうした実感はないようです。
実に申し訳ないことをしてしまったと思ったのです。
昨日の円覚寺日曜説教座禅会で横田南嶺管長がしみじみと語るのを聞いて、それが耳に残ってしまった。
気仙沼にある臨済宗円覚寺派の末寺で復興支援のお手伝いをした縁で、それ以来、毎年春が近づいてくると、三陸の海で採れる生のワカメを沢山送ってもらっているんだそうで、今年もまたどっさり届いたという。
禅寺にとってはワカメという食材はとてもありがたいもので、干したものと違って格別な味わいもあり、喜んで口にしているそうである。
色紙はその生ワカメへのお礼状に添えたものだったそうだが、やはり離れて暮らしている身と現地の人々の実感との間には相当なずれがあるようである。
その辺りは、我われも心しなくてはいけないところなのだと思う。
11日に東京で開かれた政府主催の追悼式で、われらが宰相のアベなんちゃらは、官僚が書いた空疎な作文を読み上げて胸を張っていたが、何も知っちゃぁいまい。
現地の深刻な現状を少しでも心にかけていれば、五輪誘致にあそこまで気合を入れるわけがない。
そう思っているのは私一人ではないはずである。
「私どもの関心の届かぬところで、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と天皇陛下は語っているが、繁く現地に足を運んで、被災者を励まし続けている天皇だからこその発言かと思う。
アベなんちゃらとの認識の差は歴然としているのである。
この朝の日曜説教会では横田老師の後に、鎌倉の宗教者たちが中心になって集めたお金を基にした奨学金を得て気仙沼高校に通っている女子生徒が感謝のスピーチをした。
「これまで生きてきて、ご飯を食べることも当たり前、友だちと学校に通う事も当たり前、お母さんがいていろいろしてくれることも当たり前…、当たり前だらけの中で暮らしてきましたが、今、震災を経て、私は当たり前のことなんて何一つないと思うようになりました」
聞いていて、鼻の奥がつぅーんとしてきて泣きそうになってしまった。
円覚寺佛日庵のハクモクレンの巨木の蕾が一斉に開き始めた
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