開け放たれた扉から時折入り込んでくる風がエッ‼ と驚くほど暖かく頬や首筋をやさしくなでてゆく。
これはもう明らかに、しばらく忘れてしまっていた感覚である。
ちらっと眼を外にやると太陽の光がひときわ明るく降り注いでいるように見え、ウメの花がその光を受けて輝いている。
午前8時からの坐禅は奇数日曜日に開かれるが、先々週の2月18日の時は素足で板敷の廊下を歩くだけで氷の上を歩いているかのような痛いくらいの冷たさで、畳の上に座っていてもじんじんと寒さが伝わってきて、ボクは今冬初めて歯の根が合わずにガチガチ鳴りだす始末で奥歯をかみしめながら座っていたくらいだから、その激変ぶりはまるで夢でも見ているかのようである。
まだこれから寒の戻りのような寒い日もあるんだろうが、ようやく長い長い冬が終わりかけているようだ。
毎年よ彼岸の入りに寒いのは
正岡子規の句だが実はお母さんの口癖をそのまま17文字に落としたものだそうだから真の作者は子規のお母さんということになる。
そういう訳だから寒さがすっかりどいてくれる彼岸以降まであと少しの辛坊である。
東北の友人のところでは春の彼岸は雪かきをしながらでないと墓の前まで近づけないそうだ。
今冬は稀に見る雪の量だったようだからきっと墓参りするだけで大汗をかくことになるのだろう。
「春風に誘われて」という言い回しはいささか手垢にまみれてしまっているが、それはともかくとしてボクもまっすぐ家に帰ることはしないで、物好きにも一番賑わっていそうなところに紛れ込んでやろうという気になり、建長寺の前を通り、巨福呂坂を抜けて鶴岡八幡宮の境内と段葛をそぞろ歩いて駅前からバスで家に帰った。
想像以上だったのがツルッパチいやもとい八幡様で、その人波たるや「空いている初もうでの列」くらいという表現が許されるくらいに大勢の人が次から次にやって来ていて、お陰で境内は強めの風と相まってほこりが舞っている。
本殿下の舞殿では神前結婚式がまさに始まらんとしていて、花嫁さんの白無垢の衣装にも容赦なく土ぼこりが降り注いでいて、ちょっとかわいそうである。
そんな姿を横目に通り過ぎて段葛を歩いていると、赤い和傘の相合傘に入った別のカップルと式に参列する親兄弟らがぞろぞろと行列を作って段葛に上がってくるところに遭遇した。
急に目の前に現れたので間近からぶしつけにカメラを向けるのもはばかられ撮影チャンスは逃してしまったが、大安吉日だったんだろうか。
暖かくて良かったかもしれないが、お嫁さんは汗をかいたことだろう。ほこりを浴びたり、すでに結婚生活の荒波は始まっているのだと知るべきだろうねね。ご苦労様。
啓蟄さながらにゾロゾロ這い出てきた人たちや新しいカップルの誕生を寿いでボクもどこかで一杯お相伴の祝杯を挙げたかったのだが、午前中というのは案外酒好きには不自由なもので、気楽に杯を挙げられる場所というものが無いんである。
数軒知っている立ち飲み屋も、そこの主たちはもちろんまだ白河夜船でいる時間なのだ。
バスに乗ったら途中で黒い高級外車が追いかけてきてバスを止め、下りてきた高級外車に似つかわしくない若い兄んちゃんが「ミラーをこすられた」とかなんとかいちゃもんをつけるので動けなくなり、後続のバスに乗り換えて帰って来たのだが、下りる時に代金はいりませんと言う。
こういうのってのは損したんだろうか得したんだろうか。
まぁ、どっちだってかまわないんだけど急に暖かくなるといろいろ普段とは違う光景に出会うものらしい。
春風に少し浮き浮きしながらそぞろに遠回りしてみるのも悪くはないか。
円覚寺佛日庵のモクレンのつぼみがだいぶ大きくなってきた
円覚寺黄梅院の門前に掲げられた横田南嶺管長揮毫の坂村真民の詩
鶴岡八幡宮には初もうでのような大勢の参拝客が詰めかけて
本殿下の舞殿では結婚式の開始を待つお嫁さんの姿が
段葛の桜並木はソメイヨシノだから開花はまだ先だが、段葛の先の歩道の桜が満開だった。名前は書いてなかったが地元の大船植物園が作り出した「玉縄桜」ではないか?
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