そもそもこの旅の計画は2020年11月に企画されたものだった。
それが例のコロナ禍が地球を覆い、日本も例外ではなく、世の中に行動制限・移動制限が敷かれるに及んで延期を重ね、ついに4年越しの薩摩紀行が実現したのだった。
参勤交代の江戸時代なら多少時間がかかることは想像に難くないが、交通機関が飛躍的に発達した現代において薩摩の地を踏むまでに4年もかかるとは…
各道府県をエリアにする同業者たちが様々な仕事上の必要性から東京に拠点を設けていて、その国元を離れた者どもを率いて"江戸家老"として指揮を執っていた者たちが、国元に帰った後も夫婦で互いの国元を尋ねあい、交流を続けている。
2020年は鹿児島の江戸家老が幹事役を引き受け、2泊3日の旅行プランを立ててくれたのだった。
地の利に加えて仕事上の人脈も駆使したのだろうが、予約の取りづらい人気の宿もしっかり押さえてくれていて、何度仕切り直しをしたことか、さぞかし煩わしいことだったろう。
薩摩の友人には感謝である。
われら夫婦はこの2泊3日の日程をこなした後、山の神のリクエストに応えて福岡と由布院に泊まって4泊5日の旅程を楽しんだ。
道中で出くわした「へぇ~」「ほぉ~」を旅の備忘録として残しておこうと思う。
コロナ禍の空港利用者の激減で、わが最寄り駅と羽田空港を直接結んでいたリムジンバス路線が廃止されてしまい、京浜急行で空港地下駅まで行かねばならず不便になった。
ただし地下ホームからは直接、出発ロビーに通じるエスカレーターがあって、一直線に昇っていけばいいのは助かる。
いつの間にか世の中は進んでいて、ヒコーキに乗るための搭乗手続きのためにカウンターに並ばなくてもいいようになっていた。
もちろん従来通り、カウンターで手続きする搭乗客も多く、カウンター前には長い列もできていたが、新しいもの好きのボクは家にいたまま搭乗手続きを終えて、ルンルン気分で空港へと出かけたのでありました♪
スマホにANAのアプリを入れ、手順に従って操作すると24時間前から搭乗手続きができるのである。
浦島太郎としては目をぱちくりさせたものだったが、ホームページで何度も予習をして頭に叩き込み、滞りなくできた時はなんとなく感激に近いものがあった。
ただ、山の神の分もボクのスマホで手続きしたので、1台のスマホでどうやって2人がゲートを通過できるのか、いささか心配だったが、これもゲートの脇にいる係員がすぐに対応してくれ、まず最初に山の神のチケットをゲートにかざし、ゲートが開いたところで山の神が通り、そのあとから自分のチケットをかざせばゲートが再び開いて無事に通過できる仕組みになっている。
子供2,3人連れていても同様な操作を繰り返せば1台のスマホでOKである。
うまいことできているものである。
ついでながら、航空券の購入段階からネットを駆使し、その結果としてスマホの画面にボクと山の神の航空券が現れた時にも、初めてのことなので軽い感動を覚えましたです、ハイ。
機内に持ち込めない荷物も自分の手で専用の手荷物預入機の前に立って、書かれている指示通りに操作すれば一丁上がりで、荷物に括り付けるタグが出てくるから、それを荷物に括り付ければ完了する。
あとは出発まで間があるので、昼ご飯を食べながら手荷物預入機前の様子を余裕でチラ見していたが、皆さん案外手慣れた様子でポンポン預けていて、やはりボクらは浦島太郎なんだと実感させられた。
保安検査場の検査は以前とさして変わらないので安心した。
ANAでの予約だが、共同運航便だそうで機体はソラシドエアのものだった。
このヒコーキの羽田到着が遅れ、結局30分遅れで飛び立った。
羽田を飛び立ってすぐに川崎の臨海工業地帯の上を通過していくのが手に取るようにわかる。
上昇するにしたがって雲の量が増え、富士山の東側、つまり関東平野側は雲に遮られて地上は見えなかった。
雲の切れた西側に頭を現した富士山が見えた。
山頂に薄っすらと白いものが見えるのは雲で、相変わらず富士山には積雪がないようである。
紀伊半島上空、大台ケ原付近の広大な山々の上を通過。
四万十川が海に流れ込むところが地図を広げたように手に取るように見える。
川はヒコーキの翼の下あたりから流れてきて太平洋に注ぎ込む。
中年のころ、この四万十川を2度カヌーで下り、河口の中村という町で上陸した。
スーパーで買ったウナギを河原で焼いて食べたが、そのおいしかったこと♪
いよいよ南九州の上空までやってきた。薩摩まだあとわずか。
鹿児島空港に無事着陸。
先に到着していたほかの4組の友人夫婦と合流、借り上げたジャンボタクシーで初日の宿へ向かう。
途中、塩浸温泉というところに立ち寄る。
特段何の変哲もなさそうな山の中の川沿いの場所だが、ミソは坂本龍馬とお龍さんが新婚旅行で立ち寄った温泉だということ。
「日本初の新婚旅行の湯」なんだそうである。
そして旅装を解いた霧島山ろくの宿の部屋の目の前にはど~んと大パノラマが広がっていた♪
錦江湾に噴煙を上げる桜島が夕日を浴びて浮かび上がる
この幻想的な光景の桜島は、これから日が没していくにつれて表情を変え、そして夜明の空に再び姿を現すと、その後は薩摩の地を離れるまで一緒に付き合ってくれた♪
日が沈みゆく先には奄美や沖縄の島々、さらには東南アジア諸国の国々へと無辺につながっている。
薩摩藩の人たちも海の彼方を見ていたのだと思う。
日が沈み、周囲の景色が一層淡さを醸していくのを眺めながら、翌日以降の旅に期待が膨らむ。
ローカルニュースで見かけた火山情報。
薩摩の友人は「桜島の噴火も用意できていれば、良いもてなしになったんですが、こればっかりは…」と残念がった。
爆発がある寸前にまず、窓ガラスががびりびり震えだし、その後、ドカーンという大音響とともに噴煙を噴き上げるんだそうな。
なるほど、そういわれると一度体験してみたいものである。