鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の総本山建長寺の法堂の天井に創建750年を記念した水墨画の雲龍図が掲げられたのは2000年の事だった。
鎌倉在住の日本画家小泉淳作画伯が描いたもので、その最大の特徴は「五爪」の龍ということだろう。
鎌倉と京都の五山のうち「五爪」の龍が見られるのは、ここ建長寺と京都・建仁寺の双龍図に描かれた2匹の計3匹だけではないか。
建仁寺の法堂に双龍図が登場したのは2002年の事で、作者は建長寺の雲龍図を書き上げたばかりの小泉淳作だから、小泉画伯は連作だったようである。
同じ鎌倉の禅寺である鎌倉五山第2位の円覚寺法堂にも龍図は描かれているが、こちらの龍の爪は多くの寺の龍がそうであるように、3本しかない。
五山以外でも日本の禅寺の法堂に描かれる龍図は「三つ爪」や「四つ爪」が多いそうだ。
何かの本で読んだことがあるが、「五爪の龍」は中国皇帝のもので、龍図が朝鮮半島に伝わる時には「四つ爪」にされ、さらに朝鮮半島から日本列島に伝わる際に1本減らされ「三つ爪」になったのだということが書かれていた。
まるで属国中の属国扱いではないか。
小泉画伯は自著「随筆」(文芸春秋社刊)の中で建長寺から雲竜図の制作を頼まれたことを明かしつつ、次のような構想を書き残している。
「中国ではいつのころからなのか、理想的な龍は双角・五爪ということになって、特に前足指の爪が五本ある龍は高貴なものにしか許されない時代があったようだ。万暦の赤絵の陶箱に描かれた龍の前足が五本あったために、わざわざ二本削り落として三本にしてあるのを見たことがある。民間の染付などに描かれている龍の模様には大体三つ爪、四つ爪が多いのもそのためである」
「わが国では、そのような拘束にとらわれることはないと思うのだが、どういうわけか京都五山に描かれている狩野探幽の龍などを見ても三つ爪、四つ爪が多いようである。今回はそんなことに拘泥する必要がないのだから、五爪で描こうと思う。どちらにしても空想の動物なのだからどのように描いても勝手なのだが、それだけに古来、創り上げられてきた観念から一歩も出られないのがもどかしい」
この本の帯には「一切の妥協を排し、時流に迎合せず、孤高を貫き、ひたすら自らの筆を頼り、湯豆腐と酒を愛する日本画家・小泉淳作」とある。
「随筆」の中身を読んだり、表紙に使われている代表作と言っていい「蕪」の絵などを見ると、この画家の肝の座り方が生半可でないことがひしひしと伝わってくる。
「五本の爪でなにが悪い!」という、そういう考え方がとても好ましい。
辰年の初めにあたって、「五爪」の龍をこの目に焼き付け、喝を入れてもらおうと建長寺を訪ねた。
がっちりと玉をわしづかみした指・爪はきっちり五本
法堂では正面の仏さまに向かって手を合わせた後天井を見上げると、龍が半分、逆さに見えて落ち着かない
阿吽の口の形をした双龍が描かれた京都・建仁寺の双龍図 (建仁寺ホームページから拝借)
3日に訪れた建長寺 これは総門
境内に入ってすぐに現れるのが三門
仏殿、法堂、大庫裏と続く禅寺独特の縦一直線に連なる伽藍配置は迫力がある
山門脇の鐘楼
仏殿の御本尊は地蔵菩薩像
境内を奥に進むと竹藪に囲まれて虫塚がある
解剖学者の養老孟司氏が建立したもので、大ベストセラー「バカの壁」の印税を注ぎ込んだらしい
タイショウオサゾウムシの石像
クワガタなどの石像が見える
虫かごをイメージしたモニュメント
「近代文明はおびただしい数の虫を殺してきました。それは今でも続いています。