時の流れとはそういうもので、いずれ来る区切りというものにたどり着いたというだけの話である。
何らかの感慨というものがあるのかと思っていたが、特段、普段と変わるところはない。今後は純粋な年金生活者の仲間入りをするだけである。
自分自身としては2年前に第一線を退いたときに、心の始末はつけたと思っているからなおさらである。
振り返ってみれば、組織の中で人と必要以上に和したり、目上にゴマをすったりしたこともなく、自分の信じる道だけを不器用にたどってきただけだが、よく勤まったものだという感慨は確かにある。
しかし、こういう姿勢で生きてきた人間というのは別に珍しい存在ではなく、「類は友を呼ぶ」の例え通り、全国各地に似たものが存在していることを知り、しかも幸運にもそういう人々とめぐり合うことができた上に、深い友誼まで得ているのである。
これはかけがえのないことで、来し方44年間に得られた大きな宝物なのである。
それとはまた別に、今年から年金生活に入る後輩2人が「お互いの慰労会をやりましょうよ」と声をかけてくれたので、いそいそと出掛けてきた。
1人は既に某美大の油絵科の特別聴講生に合格し、月に3日連続の6日間、午前9時から午後5時まで、隙間ない講義と実習に明け暮れる生活に入っている。
「学生生活って、案外厳しいんですよ。会社勤めのほうがずっと楽かも」と言いつつ、嬉しそうである。
もう1人は絵にかいたような実直で気まじめな男だが、これからどうしようかと模索の最中のようだった。
こういうタイプの男は「仕事ロス」という言葉があるのかどうか知らないが、会社勤めを終えると心にぽっかり穴をあけてしまって体調を崩すような事にならなければ幸いである。
そんな心配な気持ちが半分、気の合う者同士いつまでも交流をという気持ちが半分あって、定期的に合って酒を飲もうということになり、「3人会」という名前も決めてきた。
これからの楽しみが一つ増えた感じである。
この2年間、本社にはほとんど顔を出していないが、2人は中枢で働いてきただけに、感慨もひとしおのようである。
わけても、人に対して批判めいたことをほとんど口にしない2人が口をそろえて憤っていることがあり、正直言って2人の憤りぶりにびっくりした。
先輩の2人が役職を離れてなお、会議には出ると宣言しているんだという。
風の便りでは聞いていて、実直な1人は「後進に役職を委ねたのだから口出しは止めた方がいい」といさめたんだそうだが、まったく耳を貸さない、と憤っているのである。
世間ではよく聞く話だが、それにしても度が過ぎるようにも思え、情けない気もするが、関心はない。世の中にこういう類の恥知らずのバカ者はいくらでもいるのである。
己の出処進退に自らけじめをつけられないでいるみじめな存在に気を取られることはないのだ。
残された後輩たちがどのように対処するかだ。不都合なら、はっきりとそう言えば済むことである。
薄い雲間から届く光でも、太陽の力は驚くほど強く、浜辺に寝転んだ身体の奥にしみ通っていくようである
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