ナニ、梅雨入りのことですよ。
で、歌の本を引っ張り出してめくっていたら、やっぱりわれわれ日本人の祖先は素晴らしい感性の持ち主である。
まずこんな歌が目に止まった。
花橘(はなたちばな)も匂ふなり 軒のあやめも薫るなり
夕暮れさまの五月雨に 山郭公(やまほととぎす)名告(なの)りして 慈行
橘というのは認識したことがないが、日本古来のカンキツで花は勲章にもデザインされた馴染みの花だそうだ。
カンキツ類の匂いなら、ははぁ~ん、と何となく分かる気がする。
しみじみ嗅いだことはないが、菖蒲湯というのは良い香りがするものである。古来、ショウブをあやめと言ったので、ショウブの薫りのことだろう。
夕暮れのような薄暗い梅雨空にホトトギスが「キョキョキョキョッ」と自分の名前を鋭く告げて鳴いてゆく。
とても心地よいリズムだ。目に浮かぶ光景である。
降りやまぬ雨の奥よりよみがえり 挙手の礼などなすにあらずや 大西民子
前の歌ののどかさとは一転して、切なさが漂う。
日本は再びこういう悲しみを生み出す社会へと突き進んでいるのではないか?
また立ちかえる水無月の 嘆きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞ見ゆる。 芥川龍之介
「かなしき」は漢字で書けば「愛しき」で、沙羅の木の清純な白い花とあこがれの人の面影とを重ね合わせた、淡い思慕の感情を詠んだものだそうである。
うん、とても共感できるね。高校生のころは特にこういう気持ちが強かったように思い起こされる。
次は俳句。五月雨には何てったって両巨頭に登場願うしかない。
五月雨の降りのこしてや光堂 松尾芭蕉
五月雨を集めて早し最上川 芭蕉
五月雨や大河を前に家二軒 与謝蕪村
五月雨や御豆(みづ)の小家の寝覚めがち 蕪村
正直言って平泉に行って中尊寺を見るまでピンとこなかったのだが、光堂をすっぽり覆って建つ覆堂を目の当たりにして「アッ、そういうことか!」と一瞬にして理解できたんである。
写真や切手になっている絵柄は本当の金色堂ではなくて、「覆堂」だったんである。随分長いこと騙されていたものである。
最上川では、まさに梅雨入りしたその日に、どんよりと垂れこめた雲の下を屋形船に乗って川下りしたことがある。
水量の多い川で、水が黒々と盛り上がるように流れていて、屋形船だからいいようなものだが、1人ぽっちでカヤックに乗って下ったりしたらちょっと恐ろしいかもしれない。
そんな気持ちにさせられる大河である。
この最上川では酔狂なことに真冬の川下りも体験できるんである。
船の中に炬燵がしつらえられ、そこにもぐりこんで酒を酌みながら弁当を突つき、冬ざれの山肌を眺めるのである。
もちろん川面以外は一部に薄墨が差してあるものの、真っ白な世界である。
非日常の異次元体験だった。
蕪村は絵師だったこともあり、その句は絵画的だとよく言われるが、「家二軒」の句などはまさにそれで、句を見た瞬間に光景が見えてきて、しかも濁流の濁りながら音を立てて流れる様子さえ聞こえてくるような句である。
最後に巨匠以外の秀句を。
みほとけの千手(せんじゅ)犇(ひし)めく五月闇 能村登四郎
雨蛙芭蕉に乗りて戦(そよ)ぎけり 榎本其角
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡 芭蕉
この句は光堂の句と一緒の詠まれたものである。ぼくも藤原三代栄華の跡をたどったことがあるのだ。源義経もこの辺りで倒れたのではなかったか。
また芭蕉を出してしまったのだから、蕪村ももう一度。
夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村
六月を奇麗な風の吹くことよ 正岡子規
きりがない、ここらでおしまいにしておこう。
2番花が開いている「空蝉」。1番花に比べると茶系統が抜けてしまってピンクがかって見える
1番花はこのとおり茶系統の花を咲かせている。この種は病害に弱く、これからの季節は特に注意が必要だが、世話を焼くほどきれいに咲いてくれるものなのだ
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