立春が訪れたからといって直ちに春になるわけでもないが、年が明けてから明るさを増していた陽の光はさらに明るく生き生きとしたものになっていくだろう。
それが目に見えるように変化していく境目が立春と言ってもよい。
思えば暗く長く、さらには寒かった長い長い冬のトンネルの先にようやく小さな出口の明かりがポッと灯るのを目にする思いである。
はぁ~るよこい♪ などと歌わなくたって、春はもう鼻先でひらひら舞い始めるのも同然なのだ。
それで慌てて寒中見舞いを出しておかなければと郵便局へ走り、インクジェットハガキを買ってきてパソコンの前に座った。
昨年の年賀状で「年賀状仕舞」をお願いしたにもかかわらず、無視されたのか、それとも文面をちゃんと読んでもらえなかったのか、ともかく減りはしたものの、そこそこの数の賀状が届いてしまったのだ。
ボクの方は喪中でもあるし、今年から無縁のはずだったのに。
こちらのお願いを無視して送り付けて来るヤツが悪いんだから、そのまま放りっぱなしにしようかとも思ったが、生来気の弱いボクはやっぱり年賀状仕舞したんだと念を押しておこうと神輿を上げたわけである。
改めて届いた賀状を取り出してきて読み返して見ると、中には懐かしいご仁からも届いていて、内心、止めてしまわなくてもいいんだけどなと後ろ髪を引かれる思いもあるにはあったのだが、今更撤回するわけにもいかない。
「辞めるのは年賀状だけです。その余の付き合いは変わらずにお願いします」と一筆添えはしたが、我ながら随分と虫の良いお願いではある。
そんな中に、白血病に倒れ375日間もの入院闘病生活から脱出に成功した知人の賀状も含まれていて、この知人には別途手紙を書こうと思っていたのだが、すっかり失念してしまっていた。
で、「三途の川渡河失敗の巻」の顛末をじっくり聞かせてほしいものですと書き添えて出しておいた。
律義で、極めて真面目な性格の人物である。多分何がしかのレスポンスがあることだろう。
年賀状の文面には「白血病新薬での治療を完遂し生還しました」と自ら「生還」の2文字を使っているところに、彼の苦悶苦闘の日々と喜びがにじみ出ているように感じられた。
白血病も治癒の可能な時代になったということらしい。
年賀状には時々、こうやって信じられないようなドラマの一端が綴られていることがあって、なかなか捨てがたい一面もあるにはあるが、ま、それはそれと割り切っての「年賀状仕舞」なのである。
バラの「空蝉」のせん定した枝先で、吸い上げた水分が玉を作って明るさを増しつつある陽の光に輝いていた
水玉の奥に水分を吸い上げる数多の「導管」が見えるようだ 春はもうすぐそこ♪
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