2月に入ればすぐに節分だし立春が待っているから、これからは待望の春が駆け足でやって来る。
一旦春になってしまえば寒の戻りというのはあっても、季節ごと冬に逆戻りなんてことは有史以来ないはずだからもうこっちのものである。
その春が深まればさらに気温は上昇し、梅雨を経て待望の灼熱の太陽が輝く盛夏に至るのだ。
あと少し…
暖冬だった何年か前、立春が過ぎたばかりの2月6日だか7日に初音を聞いた記憶がある。
その記憶が鮮明なのは、東京湾に浮かぶゴミで埋め立てられた島のゴルフ場で初めてプレーすることになったので、どんなコースなのかと少し心を躍らせて玄関を出ようとしたら、たどたどしくはあったが例のホォ~ホケキョォ~♪ の声が耳に届いたのだった。
おお! こいつは春から縁起がいいわい…などと、勇んで出かけた割には大したスコアは残せなかったが、初音を聞いた喜びというのはひとしおだったのである。
何が楽しいかって、季節の足取りを最初に見つける喜びというのは、大宇宙の営みの一端にいち早く触れることでもあって、それに気が付いた時の嬉しさはひとしおと言ってよい。
大都会の真ん中ではなかなか難しいとしても、田舎はもちろん、それなりの郊外に暮らして感覚を鋭敏にしていさえすればその表れが例え小さくても、気が付くものなのだ。
立春を過ぎたばかりの時期に初音を聞いた当時、ボクの家の東側にはこじんまりしたものだったがウグイスが好みそうなヤブの生い茂る小山が残っていて、初音はそこから聞こえてきたのだが、今やその小山も宅地開発されてしまって跡形もない。
ウグイスのねぐらが遠ざかってしまった今、わが家にウグイスの鳴き声が届くためには季節が進むのを待たなければならなくなってしまったという訳である。
ヤレヤレの状況なのだが、それだって今年も感覚を研ぎ澄まして初音を待とうと思う。
節分が過ぎれば五感の内の、特に耳をそばだてながら野山に分け入ろう。だってやっぱり一刻も早く聞きたいよな♪
わが海辺の町には今夜から明日に掛けて雪が降りそうだと天気予報は告げている。
南岸低気圧が陸地に沿って進んで来ると雪が降る――というのは南関東の早春の常識だが、喜ぶのは子どもと犬くらいのもので、あまりありがたくない。
例え降ったとしたって朝の光とともに消えてくれれば文句は言わないけれど…
夜明け前の南の低い空にはひっかき傷のような三日月がかかり、少し東に寄ったところには宵の明星が光っていて、雲が時々邪魔をしに出てきている…
ウメにウグイスは花札にも描かれる典型的な日本の風景だが、そろそろウグイスも出番=円覚寺で
円覚寺雲頂菴前からの展望
円覚寺境内からの富士はこの場所と洪鐘の2か所でよく見ることができる
コメント一覧
heihoroku
ひろ
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事