それに加えてまた強風と大雨の予報である。雷も鳴るというからただ事ではない。
夕方から降りだす雨は深夜に激しさを増し、明け方まで残るだろうという御託宣だった。
前夜10時過ぎには寝てしまったから、どうなったかは知らないが、まだ暗いうちに起きて見ると雨は止んでいる。
ベランダのサンダルがどこかに吹き飛ばされているわけでもなく、よくひっくり返っている頭でっかちの鉢植えもそのままなところを見ると、御託宣は外れたらしい。
こういうハズレは歓迎しても良いだろう。
しかし、プランターから盛り上がるように咲いていたパンジーやアネモネ、ワスレナグサは大量の雨に打たれ、ぐったりと頭を垂れ、テンデンバラバラな方角に倒れ掛かっている。
満開のチューリップも真っ直ぐ立っているものはなく、哀れな姿をさらしている。
2度も仕置きを受け、これはもう元のように復活するのは困難である。
花ニ嵐ノタトエモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ
そんな詩があったと思うが、まさに“花ニ嵐”。しかし、サクラが咲く春先ならいざ知らず、今はもう二十四節気でいう穀雨である。
もっとも、穀雨とはたくさんの穀物を潤す春の雨が降る季節を指す言葉だから、雨そのものは仕方ないのだ。
来週には大型連休がスタートする、絶好の季節なのだが、最近は折り目正しい四季などは、とうの昔に消えたかのように寒が戻ったかと思えば、翌日には夏日が来たりする。
世の中同様めちゃくちゃなのだ。
九州の地震被災地にもこの雨は降ったことだろう。
家族を失った人もいるだろうし、家を壊されたりして生活をめちゃくちゃにされた人々は絶望的な気分にさせられているんじゃないか。
せめて余震が少なくなり、復旧・復興に弾みがつけばいいのだが…
5月に入ればもう八十八夜だし、すぐ立夏と続いて、暦の上では夏が訪れる。
夏大好き人間には待望の季節がやってくるが、参院選が控えている。喧伝されていた衆参同日選は九州の地震で衆院解散の線は消えかかってきているようだが、それでも参院でアベなんちゃらの与党が3分の2の議席を取るような事があったら、一大事である。
そんな心配が吹き飛ぶような夏になってくれればいい、というのが目下の愁眉である。
さて例年、梅雨明けの頃に開かれていた円覚寺夏期講座の日程が決まり、今年は6月2日から5日までの4日間に決まった。
梅雨入り前の風薫る季節には違いないが、開け放たれた大方丈の畳に座ってセミの声を聞き、汗を拭きながら講師の話に耳を傾けるのが良かったのだ。
それこそ、寺の夏季講座のシチュエーションであったのだが、聞く方も暑くて大変だろう、というのが寺側の言い分で、同じ時期に何十年と続けてきたものを何で今さら、という思いだが“行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず”なのである。
好むと好まざるとにかかわらず、変化には対応して行かなければならない。
いち早く満開を迎えているモッコウバラ
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