とにかく首の皮1枚で何とかつながった。
これで残り6試合の結果次第ではグループ2位以内に残れそうだ。
そうなれば来年のサッカーW杯カタール大会へ7大会連続での出場権が得られる。
忘れもしない、今から29年前のことだ。
翌年のW杯アメリカ大会を前にした1993年10月、カタールのドーハで行われたアジア最終予選のイラク戦で後半ロスタイムにフラフラと上がったセンターリングがあれよあれよと、そのままゴールに吸い込まれて同点にされたことで、念願だったW 杯初出場は一瞬にして夢と消えたのだった。
現役バリバリだったボクは深夜勤務についていて、テレビ中継を点けながら仕事をしていたが、たまたまその瞬間は一部始終を見ていたのだった。
日本のバックスもゴールキーパーも、この時ばかりは金縛りにでもあったように、だれもが鈍い動きしかできなかった。
誰かが処理するだろうと、お互いが思い込んでいたようでもあった。
その油断をあざ笑うかのように、フラフラと上がった弓なりの緩いボールは誰にも触られることなくゴールポストの内側にスゥ~ッと吸い込まれたのである。
忘れもしないあの光景は今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いているが、あの時ボクは驚きあきれ、声にならない声を上げながらのけぞった瞬間、腰かけていた椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。
この瞬間、それまで首位にいた日本は得失点差で韓国に抜かれ3位となって、翌年開かれたアメリカ大会への出場権を逃す。
奇しくも来年のW杯開催地があの「ドーハの悲劇」のカタールだし、時あたかも29年前と同じ10月である。
昨夜の試合に負けることは、29年ぶりの落胆につながりかねないわけで、嫌な予感がしていたのだ。
嫌な予感とは裏腹に、昨夜は入場してくる選手たちの目つきと顔つきがちょっとこれまでとは違っていて、「オヤッ」っと思ったものだ。
そして、試合開始前の君が代斉唱を聞く監督の目に涙が光っていたのを見て、「何の涙だ、試合する前から…」と驚かされた。
相手は3連勝してグループ首位のオーストラリアだ。これまで何度も痛い思いをさせられてきた難敵である。
試合開始早々から日本の動きは積極的でボールがよく動き、攻め込んだ。
そして開始わずか8分だった。
これまで1度も予選に出たことがなかった五輪世代の若手の落ち着いたファインゴールで先制。一旦は追いつかれたものの、最後はベテランが放った一撃が相手のオウンゴールを呼んで勝ち越し、なんとか望みをつないだのだった。
苦しい時にはこうやって若い力が登場してピンチを救えるチームは強い。
今回の大ピンチを何とか切り抜けたことで、チームは結束を強め、一丸となって更に前進することができる。
来年3月の最終戦まで気の抜けない試合が続くが、そろそろ「ドーハの悲劇」を葬り去って、新たな「ドーハの歓喜」という言葉を見てみたいし、時期的にもそろそろ書き換えの好機到来と見ていいのではないか。
それにしても昨夜はヤレヤレだった ♪
クサボタンの花後の姿