特に東側のフェンスに絡ませているバラは、20年近く前に妻の親せきからいただいたものだが、バラ好きのお嫁さんが交配して作り上げたオリジナル種なのだ。
濃くて明るいピンクの小花を房状に咲かせるので、最盛期には花房がフェンスを覆いつくすように咲き、それは見事なものである。
せん定中に顔を表した隣家のおばあさんは「まぁ、寒い中をご苦労様です。このバラが咲くのが本当に楽しみですからねぇ」とうれしいことをいってくれる。
いただいてから数年間は植えっぱなしにしていて、全く手入れもしなかったからロクに花も咲かなかったのだが、枯れもせず、じっと耐えて生きながらえてきた丈夫な品種である。
それがここ4、5年、バラの管理を身に付けるようになってきて、仕事の合間を見つけては自分の家の庭のバラも面倒を見てあげるようになって状況は一変した。
何せ、教科書通りに冬はきちんと選定し、しかも2月には根元に肥料をたっぷり与えるようにしたところ、見違えるように生気を取り戻し、見事に花をたくさんつけるようになったのだ。
横浜イングリッシュガーデンの河合スーパーバイザー直伝の管理方法なのだから、バラも幸せである。
バラという植物の現金さというか、きちんとした管理をすればそれだけ素晴らしい花を咲かせてくれる、実に単純な図式が展開されるようになったのである。
オリジナルだから名前がない。
今ふと思ったのだが、親戚は東京の江古田あたりに住んでいたと思うので、「エコダ」という名前を付けてあげたらどうかなぁ。
ecoにも通じるし、バラの名前に地名というのも悪くはないのではないか。
まぁ妻がどう思うかだ。妻の親せきからいただいたのだから妻に命名権を委ねたいと思う。
名前がないものだから、わが家では「東側のバラ」と呼んでいるのだが、いい名前じゃないしね。
結局、寒さが緩んだ10時半から作業を始めて午後4時まで、途中45分の食事休憩をはさんで庭師に徹したのである。
おかげでせん定作業ははかどり、面倒なつるバラは玄関に通じるエントランスのアーチに絡む「伽羅奢」と、ハナミズキに持たれかけさせているモッコウバラを残すのみとなった。
ただし、モッコウバラを冬にせん定すると花芽を切り落としてしまうことになり、花を愛でるつもりならせん定は時期外れなのである。
したがって、つるバラの伽羅奢と鉢植えの「空蝉」「ノリコ」ともう一つの「鉢植えの名無し」をせん定すればわが家の作業は終わる。残るは寒肥施肥のみとなる。
「鉢植えの…」は河合スーパーバイザーが作り上げた、幾重にも花びらが重なったカップ咲きの大輪で色はほんのりピンク。しかも匂いがとても良い見事なもので、それをいただいたのだが、数年たつと花の中心に緑色の小さなポッチのようなものが現れるようになり、結局失敗作のようなのである。
新しい品種を作り出す過程では、時たま現れる現象らしく、新種創出という作業も、なかなか一筋縄ではいかないもののようである。
庭に出ていると立春まではまだひと月近くあるのだが、耳をすませば聞こえてくるようになってきた。春の足音は確実に近づいてきているのである。
日本スイセンに続き、ラッパスイセンも咲き始めた
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