何のために設けられている緑地なのかよく分からないが、ここに鎌倉幕府第3代将軍の源実朝の小さな歌碑が建っている。
世の中は常にもがもななぎさ漕ぐ あまのを舟の綱手かなしも
歌碑にはこの歌が刻まれているが、金塊和歌集を編むほど多くの歌を残した中で、なぜこの歌なのか。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄るみゆ
おほ海の磯もとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも
海を題材にしたものでも秀歌はいくつもある。
碑の歌が、実朝がしばしば目にした鎌倉の海を詠ったものだからか、百人一首の93番目に登場して人々に馴染みがあると思われたのか。
世の中の様子がこんなふ風にいつまでも変わらずにあってほしいものだ。それにつけても波打ち際を進んで行く小舟が舳先から陸に伸びた綱で引かれていく姿が何とも切なく愛おしい。
現代語に訳せば、そんなような意味だそうだが、この時代の武士は常に「死」を意識しなければならなかったはずだが、わけても、わずか12歳で征夷大将軍に就き、28歳の時に鶴岡八幡宮境内の大イチョウに隠れていた2代将軍・兄頼家の子公暁に暗殺された、源氏の棟梁にして豊かな感性の持ち主の逆説的な心情がここに結実しているともくみ取れるからなのか。
実朝については、正岡子規、太宰治、中野孝次、賀茂真淵、吉本隆明、小林秀雄らそうそうたる人々が論じている。
勃興したばかりの武家の棟梁でありながら、平安貴族のようなすぐれた歌人でもある若き権力者が、政治の世界で力量を発揮することができずに暗殺されてしまうという二面性と悲劇性に魅かれるからなのか。
本棚をあさってみたところ、退職後にだいぶ処分してしまったのだが、それでも吉本隆明の「源実朝」と小林秀雄の「実朝」が見つかった。小林の実朝は文庫本の「モーツァルト・無常という事」の中にあった。
「この歌にしても、あまり内容にこだわり、そこに微妙で複雑な成熟した大人の逆説を読みとるよりも、いかにも清潔で優しい殆ど潮の匂いがする様な歌の姿や調べの方に注意するのがよいように思われる。実は、作者には逆説という様なものが見えたのではない、という方が実は本当かもしれないのである。(中略)青年にさえ成りたがらぬ様な、完全に自足した純潔な少年の心を僕は思うのである。それは眼前の彼の歌の美しさから自ずと生まれてくる彼の歌の観念の様に思われる」と小林秀雄は書いている。
実は小林秀雄はあまり好きではなかったが、このくだりはなるほどなぁと思う。
小林の言う通りだとすれば、あの海沿いの国道のカーブのところにあるちっぽけな緑地に、この歌が置かれているのもうなずけるのである。
坂ノ下の国道134号沿いに建つ実朝の歌碑
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