大病のイメージは生死の淵をさまよいながらも何とか薬効があり、生還してくるイメージである。
したがって、意識も明瞭な中で手術台に上がり、数時間の外科的治療を施せばそれでほぼ終了、はいもう大丈夫ですよと言われるのとはイメージが違っている。
第一、ここで取り上げている外科的治療のイメージは車の故障個所を工場に持ち込んで修理するようなもので、とても生きるか死ぬかのバトルの末に無事生還、というのとは結びつかない。
実は頭の中の動脈に直径7ミリ超の瘤が見つかり、放っておけば破裂することは間違いない。破裂して血が脳内に流れ散った場合の生存率は13%で、しかも社会復帰できる確率はもっと低い、と言われ衝撃を受けたのである。
医者の宣告に、そのままでいたら生還の望みなんてないに等しいじゃないの、と思いつつ手術するしかないのかと腹をくくろうにも、「開頭手術」という名前のおぞましさに二の足を踏みかけたんである。
だってそうでしょ。頭を開くんですよ!
インディアン嘘つかない! ってコマーシャルがあったような気がするが、インディアンにされるように、頭の皮をはがされ、頭蓋骨にノコギリを当てられてギコギコ切られ、脳みそが丸見えになったところに指を突っ込まれて…。
う~、やだやだ。死んだ方がまし、な気がするじゃん?
だけど、早朝に起こされ、素っ裸にされた揚句に麻酔の注射をぶすりと打たれ、さあ乗ってと台車に乗り移らされ、手術台によっこらせと移されたときに、下半身がはだけてむき出しになり、「あれぇ~」と感じたのが意識の最後。
気がついたら、集中治療室のベッドの上で、妻が「気分はどお? 終わったのよ」と声をかけてくれて、「えっ、もう終わったの?」という会話が、生還の瞬間だったんである。
「えっ、もう?」の「もう」は「手術はまだ始まらないの?」という感じで出た言葉である。
見事に意識が飛んでしまっていたんである。
難手術だったらしく、予定を3時間もオーバーして8時間も手術台の上にいたそうである。
手術は瘤の根元部分にチタン製のクリップを架けて血流を遮断するというもので、まさに「治療」と言うより“工事”と言うにふさわしいものである。
執刀医によれば、瘤は古くからあったらしく、瘤の上に別の毛細血管がからんでいて、緊急の場合ならもろともクリップをかけてしまうんだそうだが、脳のどの部位に血を運んでいるのか分からないので、この毛細血管を傷つけないように瘤からはがし、はがしたところにクリップをかけたため、時間がかかったということである。
口で言うのは簡単だが、執刀医とすれば神経をすり減らす根気を必要とする作業だったことだろう。名医とヤブの力量の差はこうしたところにも表れるのだろう。
とにかく手術後は以前とまったく変わらぬ日常生活を送っているのだから、大した腕前の医者だったのである。
だから、大病と言うより、ちょっと故障個所をいじくって直してきたって感じなのである。2000年6月1日のことである。
待たされ続けた妻と下の娘は「どうしちゃったのか」と生きた心地がしなかったと言っていた。さもあらん。
心配をかけましたねぇ。
何でこんな話を持ち出したかと言うと、新聞に脳動脈りゅう手術に新しい治療器具が開発されたという記事が載っていたんである。
ポリウレタン製の膜で包まれたステントと呼ばれる筒を足の血管からカテーテルで脳の患部まで運び、そこにステントを置いてくるだけで治療は完了するという寸法である。
これなら頭の皮をはがし、ノコギリでギコギコやらなくたって済むから、患者の負担は大幅に軽減されるのである。
医学の進歩は素晴らしい。で、わが難手術と手術を受け入れる決心をするまでの葛藤が懐かしく蘇ってきたという次第なのだ。
脳動脈りゅう破裂が引き起こすのがクモ膜下出血と言われる病気で、日本では年間3~4万人発症し、3分の2が死亡するか重い後遺症が残るんだそうである。
母親もこの病で亡くなった。周囲にも何人かいて、働き盛りの人が倒れる病でもある。
しかし、友人の中に私同様未破裂のうちに手術をして何事もなかったように大酒を飲んでいる人、日付が変わっても飲み歩いていて破裂し、運よくタクシーの中だったので、機転を利かせた運転手によって大病院に運ばれて事なきを得た人、それぞれ1人ずついるんである。
運命の分かれ道的な要素のある「病」なのだ。
赤紫のバラと白のバラの庭をそれぞれのアーチが縁取る=横浜イングリッシュガーデン
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