ユズ湯というのは良い香りがするもので、これは毎日やってもよさそうなものだが、なかなかそうはいかないものらしい。
残り湯を毎日の洗濯に使うためで、洗濯には更湯がいいんだそうである。
まぁそうであるなら仕方ないが、ユズ湯に浸かるということが年に一度の「一陽来復の日」だと言うことをもってすれば、これはやはり毎日という訳にはいかないのも道理である。
使ったユズは近所の農家がやっている農産物の無人スタンドで買ってきたもので小粒である。
小粒だからショーチューに絞り入れようとしても大して絞れず、結局丸々1個を絞る羽目になったが、それでも数滴しか垂れなかった。
おまけにタネばかりグラスの中に落ちる。
ここらあたりはスダチやシークワーサーやレモンと違うところだ。
ユズは皮にこそ値打ちがあるのだろう。しかし、高知市内の朝市などに出かけて見るとユズの絞り汁が瓶詰で売られているが、あれは相当な数のユズを縛ったものなのだろうか。
防滴ラジオというものを浴室に置いてあって、スイッチを入れるとカンツォーネが流れてきた。
有名な「フニクリ・フニクラ」とか「マリア・マリ」「フジリコの漁夫」なんてのをパヴァロッティの名盤で流していたのだ。
一陽来復の夕暮れにユズ湯に浸りながらナポリ民謡を聞き、♪ 登山ぁ~ん電車が できたのでぇ~ 誰でもぉ~ 登れるぅ~♪ と口ずさみながらショーチューを舐める。
思いがけない取り合わせになったものだが、なかなかオツな冬至になったものだ。
流れてきたのがスコットランド民謡とかロシア民謡だと随分雰囲気も違ってきただろうし、ボク的には南のラテン系でとても良かった。
それにしても、どうして湯に浸かりながら飲むショーチューのオンザロックはああもおいしいんだろう。
富士山でも見えるともっといいんだがなぁ~。
ユズ湯には血行を良くする作用があるのだという。
11日にバラのせん定作業を始めたのはいいが、初日に腰を痛めてしまって以来自重しているので、年内のせん定はあきらめつつあるのだ。
ユズ湯のおかげか、心なしか腰はだいぶ軽くなってきたけれど、1月中に終わらせれば何とかなるだろうから焦ることもないのだ。
現役時代と違って隠居のジジイにはたっぷりと時間がある。
今回は従来通りに出すことにしている年賀状も準備を終えたし、残り1週間余りでやることは窓のガラス磨きくらいのものだ。
面白いと思って読み始めた本が2冊と、そのほかに円覚寺の管長さんから頂戴した本や興味を引かれて買った本数冊が積みあがったままだが、これは年越しでもいいのだ。
繰り返すけれど、ジジイに金と力はなくなっても時間だけは潤沢なのだ。
さて、今日からは日脚が伸びていく。実感は無くたって理論的にはそうなるのだ。
日ならずして目にも見えて来るのさ。
今年のわが家のバラ庭・初夏その3
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