会場の大方丈や書院は満杯にならず、ところどころに空席が。
7月下旬の暑さの盛りに開かれていたころは、もう立錐の余地がないくらいに人が詰めかけ、それでなくても暑いところに持ってきて人いきれでうだるような熱気に包まれたものだが…
正直言って俳句の季語にまでなっている「夏期講座」の雰囲気はそこにはなかった。
開け放たれた大方丈のガラス戸から入って来る初夏の風邪はヒンヤリしていて冷たく、開始早々こそ全開されたままだったが時間が経つにつれて寒さに代わり、南側のガラス戸はすべて閉じられてしまった。
蝉しぐれを耳にしながら汗を拭きふき講師の熱のこもった話に聞き入るというのが夏期講座の夏期講座たるゆえんだと思うのだが、残念なことである。
一時限目。横田南嶺老師による「無門関提唱」。
48則あるうちの、今年は33則「非心非仏」から。
毎年4則づつの講義だから今年で9年目である。
ボク自身、何となく気合が入らず集中力は今一つ。
従って話は聞いているつもりだが、聞き終わってみるとほとんど中身を覚えていない。
結局何となくぼんやり座っていただけのようで、何か情けない気がする。
2時限目。岸田ひろ実さん登壇。
知的障害のある長男出産。夫の突然死。自身は大動脈解離を発症し、緊急手術で一命をとりとめるも後遺症で下半身まひになり車いす生活に。
マスコミなどにも取り上げられ、年間100回以上も全国各地で講演するような人らしいが、恥ずかしながら初めて知った。
演題は「ママ、死にたいなら死んでもいいよ~娘のひと言から新しい人生が始まった~」。
話を聞いていてすごいなと思ったが、震えるような感動とまでは行かなかった。
ジジイになって、感動を感じる領域というものが退化しかけているんじゃないかと思えるほどで、今後注意が必要かもしれない。
この岸田さん、大阪の人だそうだけれど底抜けに明るいのが印象的だった。
それだけでもすごいことなんだと思う。
3時限目。富岡幸一郎鎌倉文学館管長の「鎌倉文士の死生観」。
夏目漱石と川端康成を取り上げて話していたが、ほとんど記憶に残らず。耳は聞いているはずなのだが、引き込まれなかったのだ。
川端先品は高校生の頃、サッカーの合間に主要なものはほとんど読んでいたので注目したが、川端は一休禅師の「仏界易入魔界難入」の直筆の書を所有して書斎に掲げていたそうで、「彼の死生観のヒントがここにあり、様々な作品にもこの考え方が反映されているのだと思います」というところだけがかろうじて耳に残った。
ゆえに彼の作品は「千羽鶴」がいい例だが「あの不気味さは彼岸と此岸を平気で行き来した川端ならではの作品」だとも。
彼の作品は「山の音」なども含めて行間を読むものだとも。
高校生には全くあずかり知らぬ視点を示され、特に千羽鶴については近々再読しなければという気持ちにさせられたのが唯一の収穫か。
全体的に集中力に欠ける初日だったのが返す返すも残念である。
以上、円覚寺境内で
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heihoroku
高麗の犬
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