と言ったって、何でもできるという訳でもなく、第一だしの取り方もまともに知らないのだから推して知るべしで、料理と言えるシロモノではない。
野菜を食べようと思えば冷蔵庫に頭を突っ込んで、ありあわせの様々な野菜を取り出し、適当に切ってサラダ油で炒める程度である。
この場合の味付けは塩コショウだけか、場合によっては鶏がらスープの素のようなものを放り込んでみたり、気が向けばバターを入れてその上から醤油をかけてみるなどと言うこともやる。
つまり、味の保証はなくても、何でも思いつくことをやってみるのだから、当然のこととして当たり外れも出てくる。
よしんば魚を手に入れたところで、刺身にして食うか、ガスコンロの魚焼き器に放り込むくらいが関の山である。
豚肉を買ってくればショウガのみじん切りを用意し、ショウガ焼きにする程度の知恵しかない。
奮発して葉山牛などの牛肉を買ってきてステーキを焼いてみることもあるが、どうも素材の美味さを十二分に引き出せていないようで、ブランド肉を食べているという満足感だけで終わってしまうことが多いようである。
魚をさばくことだけは自信があって、ボク専用の出刃包丁を2本持っているのだ。
1本は長女が京都の刃物屋で買ってきてくれたもの。かれこれ20年近く使い込んでいる包丁である。
もう1本は岐阜に行った時、関の孫六の末裔たちが作った包丁の中から、小ぶりで使いやすそうなものを探して買ってきたんである。
ちょっと脱線してしまったが、魚もさばくところまでなのだ。
ボクの料理はそもそも野外料理なのだ。
50歳くらいまで、時間を見つけては泊りがけでカヤックを漕いだりしていたので、エネルギーチャージのために自分で何か作る必要に迫られていたんである。
もっとも、テントを張って焚火の火を使っての料理だから、鍋の中にインスタントラーメンや辺りで調達した貝や野菜を一緒にぶち込んで煮込む程度なのである。
キャンプに行って子供たちだけでガヤガヤ言いながら作って食べるカレーライスが忘れられない味になるように、景色やら空気やら仲間の嬉しそうな顔やら全部が、家では用意できない調味料になって味を調えるのだから、野外料理はそもそもおいしいと決まっているんである。
当然のことながら家の台所を使うとなれば、それなりの知恵と知識が必要なのだろうが、残念ながらそういうスキルは持ち合わせていない。
でも、買い出しに行ったのだ。
まずビルの地下の行きつけの魚屋を覗いてみたら、丸のままの魚はアジでもイワシでも山盛りにされて売っているし、それより大きな魚も2、3本ずつザルに盛られているから、とても1人では食べきれない。
さばかれて切り身になった魚は手間が省けて便利だが、どうも食指が動かなかった。
ホトトギスの初音を聞いたばかりだから初ガツオもいいなと思ったのだが、片身をさらに背側と腹側に切り分けたものでもカツオとなればでかいのである。
魚屋の隣はウナギ屋である。
焼いたかば焼きを持ち帰るだけの店なのだが、ここは有名店である。おいしいと評判の店なのだ。
そういえば一番最後に食べたのはいつのことだったか…。魚屋であれこれ迷ったのが嘘のようにピンと来たのだ。「そうだウナギにしよう! 」
1500円と1800円の2種類の値札が付いている。で、1800円の方、つまり少し大きめのかば焼きを選んだ。
ちょっと気取った店構えのところでうな重になって出てきたら、おそらく倍の値段の3500~3600円くらいしそうな方を買って大事に持って帰ったんである。
魚屋の隣にはウナギ屋のほかに八百屋もある。
ここでも好物のソラマメが手招きしているし、さやがパンパンに膨れ上がったスナップエンドウまでがボクを見て「ダンナ、かば焼きの付け合わせにどうです? 」と微笑みかけてくるのだ。
不公平にならないように気を遣うのがボクの性格である。
この2つの緑色に赤いパプリカと黄色いカボチャを添えたから、まるで信号機のようになった。
そうそう、この食事では赤ワインという訳にもいかず、冷やしておいた白を開けて飲んだのだ。
うふふふふ…
1点豪華主義! かば焼きは半分をご飯の上に、もう半分はそのまま味わう。交通信号になった野菜は旬の味である。白ワインとの相性がいいのだ
わが家のバラは比較的遅咲きの品種が多く、ようやく4分咲きあたりまで来た
こちらの「ローゼンタール・シュパリース・ホープ」も4分咲きといったところ
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