これは若山牧水の歌だが、酒に関してはもう一つ「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」という有名な歌がある。
どちらが好きかと尋ねられても、どちらにも味があって酒飲みにはよく理解できる歌だから甲乙はつけがたい。
共通しているのは独酌の酒を詠んでいるところだが、そこもまた酒の飲み方としては惹かれるところで、気心の知れない仲間とワイワイやりながら飲む酒も楽しいに違いないが、ふとした折に独りしみじみ味わう酒もまた捨てがたいのである。
結婚したころは浴衣を持っていたのだが、今はない。
夏の夕暮れに浴衣なぞ着て胸を少しはだけ、団扇を片手に遠くから聞こえてくるセミの声を聞きつつ狭いながらも生い茂った樹々の葉の間をかき分けて届く涼やかな風を味わいたいものだとつくづく思う。
そのわきに用意しておくのが一合の酒であり、季節がらキンキンに冷えた冷酒がいいと思うが、しみじみやっているうちにもう一合の酒を継ぎ足すころには辺りはすっかり夜のとばりが降りているということになる。
考えるだけで心が躍るが、実際にはなかなかこういう心境になれないというのは、どこか心の余裕を失ってしまっているのではないかという気がするのだ。
時の過ぎ方が早すぎるのも、そうした心境になれない大きな理由だったが、夜も昼もなかった現役時代じゃぁあるまいに、爺となった今の境涯ではそれほど時間が早く過ぎる必要もないのだから何とかならないだろうかとも思うが、やはりまだ「じじいの道」の何たるかに近づけていない証拠でもあるのだろ。
何事にも慣れや心構えというものは大切で、そういうものはただボォ~ッと待っているだけでは手に入らないものなのである。
酒を脇に置きつつ夏の夕暮れを味わうにはTシャツと短パンは不向きのように思える。
第一、情緒というものがない。浴衣より短パンにTシャツの方が涼しいに決まっているが、そこは日本の夏なのだから〝キンチョウノナツ″と同じように「型」は必須であるような気がするのだ。
しかし! しかし! である。
最近の猛烈な暑さの中で浴衣なんぞ着ていられるものなのか?
冷房をガンガン効かせた部屋で浴衣を着たって何にもならないではないか。
あの衣装は陽が落ちるとともに下がってくる温度とそれを加速する自然の涼やかな風を直接感じながら身にまとう衣装なんである。
まぁわが家はその点、冷房のお世話になることが少ないし、どこの窓も開けっぱなしだから浴衣を味わう条件の一つはそろっているというべきだが、さてどうしよう。
大蔵大臣に新調でも願い出てみるか。
とりあえず向こう一週間は曇りと雨ばかりの日ばかりらしいから、浴衣の出番なんぞは端からなさそうで、思えば今年は浴衣が似合うような夏の夕暮れはあったんだろうかと首をかしげるばかりだから、夏の夕暮れの酒はあきらめて白玉の歯に沁みとおる季節まで待つことにしたいが、はて、その時の衣装はどうしよう……
3週間ぶりの坐禅会に行った円覚寺境内はさすがに花が少ない。これは一番奥の黄梅院に咲いていたギボウシ?
こちらのタカサゴユリは境内のあちこちに見られる
花を探してウロウロしていたら灯篭の下に目が引き付けられた。まるでどら焼きの親分。初めて見るキノコだし、もちろん名前なんか知らない
今まで気にも留めたことはなかったが崖の中腹にこんなものまで見つけた。いったん目に止まると目の記憶装置が覚え込んでしまって勝手に焦点を結ぶんだろうか
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