11月になると思い出す漢詩がある。
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花
という「山行」と題する杜牧の七言絶句。
遠く寒山に上れば 石径斜めなり
白雲生ずるところ 人家有り
車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩
霜葉は 二月の花よりも紅なり
と読み下す。
楓林とはカエデの林のことで、寒さで色づいた葉は春の花よりいっそう紅く見えると詩人は言っている。
そもそも「トオク カンザンニノボレバ セッケイナナメナリ…」という言葉のリズムが良く、転がりが何とも言えない。
中学生だったと思うが、漢文の教師が読み上げたこの詩は一瞬にして脳ミソに刻まれ、それ以降、記憶から消えたことがない。
そしてその快調で心地よいリズムや転がりは最後まで続く。
読んでみて感じるのは前半に広がる「白い世界」が、後半では「紅く」染まるのである。
冬を目前にした自然が見せる一瞬の輝きがそこにはある♪
もう一つ、心にしみるのが白居易の「送王十八帰山、寄題仙遊寺」。
曾於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊無復到
菊花時節羨君廻
特に5行目と6行目、「(仙遊寺では)林間で散り落ちた紅葉を焚いて酒を煖(あたため)たり、石上に緑の苔を掃って詩をしたためたりしたものだ」と言うところなどは、ジ~ンと来るくらい、身に染みたものだった。
そもそもわが俳句同人の集まり「二合会」は、この一節をイメージしつつ、ただ集まって酒を飲むばかりでは能が無かろう…と、「ならば17文字で済む俳句でもひねるか」というきっかけの一つにもなった詩なのでアリマス♪
ちなみに「二合会」命名の由来は、俳句の時の酒は「二合までとしようや」ということからだったのだが、いつの間にか拡大解釈がまかり通るようになり、今では「一種類二合まで」と相成ってしまっているのは喜ぶべきことなんだろうか…と自問しつつ、「楓林の紅」や「苔の緑」に免じてカタイことを言うのはよそうやという気分なのでございます、ハイ。
俳句も酒も無粋はいけません、無粋は。楽しむなら風流じゃなきゃ…
オシャレな青紫色の衣装をまとったヤブマメがまだ咲いている
道端のちょっと崖になったようなところがお気に入りの場所のようである