200人限定で参加費も2000円取られるので、気合が入った人たち? が集まっているらしく、普段の日曜坐禅会で見かける顔ぶれとは違っていた。多分遠くから馳せ参じてきているのだろう。
冒頭、横田南嶺管長が「今回は特別に埼玉県新座市にある臨済宗妙心寺派の平林寺の松竹寛山老師にお越しいただいて法話をお願いしました。我々の世界では『他国坊主』という言い方をしまして、よその坊さんの話の方がありがたく聞ける、というのです。ぜひ何か掴んでおかえりください」と挨拶した。
へそ曲がりの私としては、「『他国坊主に地侍』という諺もあったぞ。確か実力がなくても権威と肩書きで通用することの例えだったはずじゃなかったっけ?」と白い目を向けたんである。まさか仏教用語は言わずもがな、漢語やら日本の諺などにも精通しているはずの横田老師が間違えるわけないだろうとは思ったが…
でも、法話の中身は臨済録のうちでも重要な教えの一つだと言われる小節についての解説だったようだが、残念ながら何一つ理解できなかった。
もっとも、他国坊主のせいではなく、優れてこちらの側の理解力に原因があるのだ。
それに加え、平林寺の坐禅は声を出しながら坐るのだという。実際にやって見せてくれたが、平林寺で修行する雲水にも戸惑いがあるそうで、ムベなるかなと思わざるを得ない。
臨済禅師の頃の坐禅はこうだったとも言われているらしいが、松竹老師によると、無言で座るよりも集中力が高まるのだそうだ。
話が突飛すぎてついていけなかったのが残念である。
ところで遠諱(おんき)というのは一周忌とか三回忌の延長で五十回忌を過ぎると50年ごとに行う法要を言うのだそうだ。つまり臨済宗では50年に1度の大イベントなのである。
そういう記念すべき坐禅会に参加しなくては何のために毎週円覚寺に行って坐禅をしているのか、ということになりかねない。しかも、よくよく考えたら、1966年7月に学校をサボって円覚寺で10日間坐禅を経験した"事始め"からもちょうど50年の節目なのである。で、勇んで申し込んだのだ。
偶然とはいえ、こういう縁は大切にしたいものである。しかし、当時は「臨済禅師1100年・白隠禅師200年遠諱」だったわけだけど、まったく知らなかった。
臨済義玄禅師は中国唐の時代の人で臨済宗の祖と言われる坊さんである。一方、白隠慧鶴禅師は江戸時代中頃の人で日本における公案禅の修行方法を確立し、現在日本の臨済宗の伝法はすべて白隠禅師を祖としているため、臨済宗中興の祖とも称される。今の静岡県沼津市原の生まれで、「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のおやまに原の白隠」という戯れ歌にも詠まれるほどである。
唯一昼食付きの坐禅会で500円取られるのだが、精進カレーなるものを初めて口にした。人参、ジャガイモ、がんもどきが具のカレーで、スパイスが効いていて思ったより美味しかった。秋刀魚の件もあることだし、今後は"カレーは円覚寺に限る"ということになるかも。
もっとも仏教の祖・お釈迦様はインドの生まれだから、カレーはいつも口にしてたんじゃあるまいか? 仏教にとっては伝統食なんだよね、今風にいうとソウルフードってヤツですな。
横田南嶺老師が先頭に立って漬けた沢庵と福神漬けが添えられている
信徒会館2階の大広間が食堂に早変わり
境内最奥の黄梅院の庭に咲く秋の花
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