参加者は午前8時の開門を待って門の前に並ぶのだが、せいぜい階段のすぐ下あたりまでしかない列が今回ばかりはどうした風の吹き回しか横須賀線の北鎌倉駅改札口付近まで、普段の日曜日の倍以上伸びていたんである。
通い始めてもう3年になるが、こんな長い行列を見るのは初めてなので、ちょっとびっくりしながら列のしっぽに並んだのだ。
果たして坐禅会場の大方丈に入ってみると、ボクがいつも坐るあたりは既に塞がってしまっている。
仕方なくご本尊を挟んで反対側に場所を見つけて坐ったのだが、15分後に坐禅のイロハを教えられた初心者たち20人ほどが加わると空きスペースはなく、普段坐らない場所に座布団を並べて急場をしのぐ盛況ぶりである。
普段はせいぜい80人くらいしか参加者はいないから空席が目立ち、寒に入ると寒さが際立つからか、参加人数はさらに減ることもあるのだ。
それが、用意された席では足りないという光景を初めて見た。優に100人を超えて120~130人くらいいたのではないだうか。
去年あたりから禅ブームだと言われているようだが、なるほどそうなのかもしれないと実感させられた。
異変の二つ目は若い女性の参加者が目立ち、しかもコートやダウンジャケットを着たまま坐禅をしていることである。
若い男の子もダウンで着ぶくれた姿で坐っている。
厳しさで知られる臨済宗の中でも特に厳しいとされている円覚寺だが、それは専門の修行僧に対してであって、在家の人間には寛容である。
それでも多分、初心者にイロハを教える時にコートを着たままの人たちに向かって「坐禅というのはあくまで修行の一環です、コートやダウンジャケットを羽織りながらの坐禅はあり得ません」という注意はしているはずである。
でも、言葉を続けて「今朝は寒いので、どうしても耐えられないというのであれば着たままでも構いません」と言い添えているのだと思う。
毎週通ってきているような参加者の中にはコートやダウンジャケット姿は皆無だが、まぁ最初は致し方ないと思って許しているのだろう。
しかし、考えて見ると、これは基本的な「お行儀」という観点から見ても首をかしげたくなる行為なのではないか。
日本人の多くは他人の家を訪問したり、神社仏閣の奥に上がるような場合には玄関に立つ前の段階でコートを脱いで折りたたんで腕に持ち、それから敷居をまたぐようにしつけられたんじゃァなかったっけ。
そのデンで行けば大方丈の玄関口を上る手前で脱いでいなければならないはずである。第一靴を脱いで自分で下駄箱にしまってから上がるのだから、コートを脱ぐタイミングは用意されているのだ。
それが何の疑問もなく着たまま上がり込み、着たまま坐禅をするということ自体に違和感というものを感じないのだろうか。
電車の空いた座席に座るのとは根本から違うのだ。
第一、自分の家に戻ったらコートやダウンは脱ぐだろう。コートを着たまま飯を食うか? ソファーに座るか?
暖房がないうえに、戸は一部が開け放たれているから外気と変わらない寒さなのだが、そういう想像力もまた必要なのだ。
自分は何をしに、どこへ行くのか。
今はネットというものがある。調べればすぐにわかるだろう。
あらかじめ寺に電話して注意点なりを聞いておいて準備するというのも一つの手だろうに。
お行儀やら何やらも含めて、あれこれ期待を寄せるのは酷と言うことなのだろうか。
そんなひ弱なことではアベなんちゃらたちの格好の餌食になってしまうだろう。鉄砲担がされちゃうよ。
円覚寺の建つ北鎌倉の谷戸は陽が当たり始めるのが遅いせいか、朝はとても寒い
境内の花はほとんど絶え、ウメはまだだし、咲いているのはロウバイとスイセンくらい
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