3、40メートルほど先の道路際の笹藪から出てきて、幅3メートルほどのアスファルトの道に出、反対側の高さ2メートルほどの擁壁にピョンとジャンプし、そのまま笹藪の中に消えたのである。
鳩よりもちょっと大きめの、遠目では茶色の羽毛にくるまれた足の太い鳥で、藪から出てきて藪に姿を消したところを見ると間違いはなさそうである。
姿を見るのは初めてなのだ。
体長は27センチくらいで、キジの仲間だそうだ。
そもそも中国原産の鳥で、1920年前後に狩猟用に東京や神奈川で放鳥されたものが繁殖したようである。
この鳥を知ったのはだいぶ前のことで、信州の辺境に暮らすキリスト教の牧師が東京の友人たちに本物の鴨料理をふるまうという約束をしたものの、時季外れでカモが手に入らずに上京し、食い物の恨みに打ち震えていたら、郊外の滞在先でコジュケイの鳴き声を聞いて閃き、こいつを捕まえてオーブンで丸焼きにしてカモの代わりにふるまったところ、友人たちが随喜の涙を流したというエッセーからである。
本棚をひっかきまわして探したところ「辺境の食卓」と題された文庫本が見つかった。
1981年の出版だから、今から35年前である。
文章の中に「林の中でカサコソと音がする。耳を澄ましていると『チョットーコイ』と呼んでいるように聞こえる。『それではいきましょう』と林に入ると、姿が見えないが逃げていく感じがした」という一節があり、それが妙に頭にこびりついてしまったのだ。
この一文に出会う前は気にも留めなかったのだが、言われてみればわが家の周辺でも「チョットコーイ」という声をよく聞くなぁ、あれがコジュケイの鳴き声か、と妙に親しみを感じたのである。
以来35年。
わが家周辺には細い笹がびっしりと生えた薮が随所に残っている。この笹の間をコジュケイは難なくすり抜けていくのだが、猫やタヌキの類がここを通り抜けるのは困難だろう。
それゆえに地上でヒナを育て、地上で日々を過ごすコジュケイにとっては安住の環境なのである。
エッセイには捕まえて首をひねったコジュケイをカバンに詰めて都心に出、待ち合わせの時間まで寅さんの「男はつらいよ 葛飾立志編」を見ていたら、映画館の暗がりで息を吹き返したコジュケイにケケケケケと鳴かれ、慌てて首をひねりなおしたなどと言う場面も出てくる。
まぁボクには絶対できないことで、しかも料理する段になって、毛をむしり、残った細い毛をコンロの火であぶって燃やし、内臓を引っ張り出して…なんてことは考えただけでも恐ろしい。
魚なら日常的にやっていることなのだが、温かそうな体温の残っていそうな「物体」は埒外である。
かくしてわが家周辺のコジュケイは増えこそすれ、減ることはないのである。
今日も甲高い声で「チョットコーイ、チョットコーイ」と連呼するのだが、残念ながら「ではお言葉に甘えて」という具合にはいかないのだ。
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