正直言って2週間前に受けた右目の手術後よりもよく見えて、これにはいささか驚きを禁じ得ない。
理由は右目は近視の矯正に主眼を置いて手術を受けたのに対して、今回の左目は多少の近視は残っても「手元が裸眼できちんと見えるようにしたい」と強く希望して、その通りにしてもらったためである。
結論から言うと、右目は「遠くを見るため」、左目は「近くを見るため」に‟機能分化〟させたことになる。
いわば、自ら進んで左右不ぞろいの視力を是とする「ガチャ目」を選択したわけである。
ガチャ目のことを医学用語で「不同視」というそうだ。
本来、左右で同じように見えているのが普通だが、これが病気やケガ、あるいは他の原因・理由によって左右の見え方がアンバランスになっても、脳が見え方を補正して日常生活に支障が起きないようにしてくれるらしい。
脳とは何と便利で健気な存在であることか。
結果的にではあるが、左右どちらの目も正常に機能するようになれば、ボクは老眼鏡も近視用メガネの必要もなくなるということになる。
で、実際にどのように見えているのか。
驚いたことに、近視を残したはずの左目の視力だが、これが近視をすっかり矯正したはずの右目とそん色ないくらい遠くまで見えるのだ。
しかも、見え方は右目が遠視が出ているため若干歪んでしまって見えにくいのに対して、左目は実にクリアカットによく見える。もちろん手元は小さな文字でも裸眼でOKである。
昨日、散歩に出て冬晴れの空にくっきりと浮かんだ富士山を左右交互に目をつむりながら眺めたところ、近視を残したはずの左目の方がよく見えるという、信じられないことが起きていたのだった。
これなら右目も左目と同じ手術を受ければよかったわけで、ボクの痛恨事と言ってよい。
実は主治医の女医さんからは「近視を残す手術を受けた患者さんの方の方が術後の満足度は圧倒的に高いですよ」と、手術の前日の検診の時まで言われ続けていたのだ。
それを無視して「近視が矯正できる」という言葉に飛びついたのは、長年強い近眼で不自由な思いをしてきたこともあって、「裸眼で遠くが見える」という言葉に惑わされてしまったのだ。
で、遠くはそれなりによく見えるようになったものの、手元に当たる40~50センチ付近が当然の如くぼやけてしまい、極端なことを言えば濃霧の中を手探りでさまようような感じさえ受けて戸惑ってしまっていたのだ。
新聞や本を読むのは老眼鏡をかけることを覚悟し、当然視もしていたのだが、それ以外のこと――つまり店に入っても棚に陳列してある商品がぼやけて値段の数字はおろか商品名さえ裸眼では全くお手上げになったほか、こいつは困ったなぁ~と痛感したのが植物の世話をする段になって雑草と芽生えた苗の区別がつかなかったり、バラの世話で葉っぱや茎を点検するのにいちいち老眼鏡をかけなければならなくなったことだった。
手術を受ける前、新聞や本を読む場合、暗い所では老眼鏡を必要としたが、それ以外は何とか見えていたし植物の世話にも支障はなかったのだ。
で、術後1週間の診察の時に主治医に相談したところ「たっての希望というのであれば、とりあえず左目は近視を残すようにして見ましょう」と言われた結果が今回の「驚き」なのである。
そこで不同視なる医学用語が飛び出し、ふらついたり頭が痛くなるようなら右目も近視を残したレンズに変えましょう、と言われたのだ。
今のところ特段の不自由さは感じない。
理想的には左右が揃ったほうがいいに決まっているが、また2泊3日入院して再手術を受けるというのは気が進まない。
多分、十中八九このままアンバランスな不同視を受け入れることになると思う。
晩節に思いがけないことが起きたものである。
人生はかくの如く不思議で、しかも予想外のことが起こるが、それもまた楽しからずや ♪
冬空に浮かぶ富士山と箱根連山(左)、丹沢山塊(右)
近眼を矯正した筈の右目よりも、近眼を残したはずの左目の方がクリアカットによく見えるという珍現象が現れている
右目には乱視が出て物のピントが合っていないためだが、これは初期症状でいずれ収まり正常になるのかどうか…
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heihoroku
私もガチャ目
heihoroku
ひろ
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