そのうちの2点を上手の手からこぼしてしまったのは何とも惜しまれる。
失点シーンを振り返ってみれば、ディフェンスの吉田だか昌子は相手を背中に背負いながらブロックしてゴールキーパーにボール処理を任せたんである。
それが、キーパーの川島がはじいてしまい、はじいたボールを押さえようとして飛びつこうとしたのだが、相手選手が一歩速かったという訳なのだ。
確かにその場面では攻め込まれたが、ボールはコントロール出来ていたはずだった。
正確に言うとコントロールしかけていた、というべきだろうが、一瞬のずれというか、割れ目にすっぽりとはまってしまった。
ディフェンスを崩されて、手も足も出ないうちにズバーンとゴールネットを揺らされるならまだあきらめもつくが、こういうどさくさまぎれのような1点はこたえる。悔やまれてならない。
先制点は開始早々の時間帯にコーナーキックから大迫が頭で合わせた見事なものだったが、その後のチャンスでもう1点でも取れていればどうってことはなかったのだが、その1点が取れずにズルズルと時間を浪費してしまったことが、勝ちきれなかった原因の一つである。
相手は格下のはずなのに、圧倒的な力でねじ伏せてしまうような力強さがないのは今の日本チームの特徴である。欠点である。
このチームの戦いぶりを見てきて、何かわくわく感というものが伝わってこないのは、相手を寄せ付けない強さというものを持ち合わせていないからなのだ。
4年前の選手や、8年前の旬を過ぎた選手がまだ幅を利かしているようでは知れているのだ。
若くて伸びしろのある選手なら少々もたついたところで、それをカバーしたあり余るパワーや能力を秘めていれば、それはそれで期待となって次につながるのだが、いってみればジジイ軍団がもがいているようでは、残る2試合の強敵オーストラリアとサウジアラビアでは1勝もできないのではないかと悲観的になってしまうのである。
まぁ日本にはフンドシを締め直すという言葉があるが、うまく締め直してもらいたいものである。とにかくあと1勝すればいいのだから…
ボクが進んだ高校は県内で最も古い学校で、中学時代と違ってここにはれっきとしたサッカー部があり、しかも黒々とした広いグランドを持っていたのである。
1周200メートルの陸上トラックが奥にあり、その手前ではグラウンドを広く使う野球部とラグビー部、サッカー部がそれぞれ重ならないで練習できるくらいの平いグランドだったのである。
ここで、はつらつと暗くなるまでボールを蹴っていたんである。
ところが今のサッカー人気しか知らない人には信じられないだろうが、当時は全くマイナーな―スポーツで、ボクたちが高校に入学した年に開かれた東京オリンピックで川渕三郎のダイビングヘッドが決まって強敵アルゼンチンに勝ってしまうという番狂わせを起こしてもなお、ほとんど騒がれなかったんである。メディアも良く価値が分からなかったんじゃないかと思うのだ。
ある時、頼みもしないのに公式戦に応援と称してやってきたクラスメートの女生徒たちが「手があるのに何で使わないの? 」などとトンチンカンな感想を漏らすありさまで、よっぽど尻に蹴りを入れてやろうと思ったが、ボクはキャプテンだったので思いとどまったのだが、無知丸出しの馬鹿どもがと、腹の立つことであった。
そういう時代だったのである。
あれから幾星霜。
今ではワールドカップ出場の常連国になったとはいえ、こんな調子では世界から一目置かれるような強豪国への仲間入りはいつのことになるのやら。
往年のサッカー小僧としては歯がゆい思いが募るばかりなのだ。、
見果てぬ夢とは言わないが、その前に、せめてフンドシだけは締め直しておいてくれよ。頼むよ!


ハンゲショウが色づいてきた。七十二侯の一つに「半夏生」というのがあって夏至から11日目、太陽暦では7月2日ころのことだそうだ。半夏(カラスビシャク)というサトイモ科の薬草があり、この草が生えるころなのだそうだ。「半化粧」とも当て字されることがあるのは、葉っぱの半分だけが白くなり、おまけに穂まで白く染まって化粧道具のようにも見える念の入れようなところからきているようである。