赤系統の花はそれほどでもないが、白っぽい花が終わりに近づくと花びらがくたっとするばかりではなく、茶色に変色してしまうから見た目はすこぶる良くない。
茶色く変色したならさっさと散ってしまえばいいものを、そのまま枝先から離れないでいるさまを目にすると、思うところはいろいろあるものである。
命あるものの終わりというものは、多くはかくのごときありさまを示し、何もバラに限ったことではないが、あわれでみすぼらしくもある。
ついつい落剝とか老残などと言う言葉を連想してしまい、そういう姿を見ていると、人もまた例外ではないのだなと思って愕然とするのだが、それはそれで受け入れるしかないのが自然の摂理というものなのだろう。
生者必滅会者定離なんである。
何かとんでもないことを書き出してしまったが、何のことはない、みすぼらしくなってしまったバラの花殻を積んできれいさっぱり整える作業をしただけの話である。
お陰で濃緑の葉がキラキラ目立つようになり、これはこれで生命力の旺盛さを感じさせてくれている。
これらの葉がたっぷり太陽のエネルギーを吸い込んで株を大きく成長させ、併せて秋バラのための養分を蓄えていくのである。
楽しみはまだまだ先へ続くのである。
今年は家にいる時間が長くなり、その分バラに気を遣う時間が増えたこともあるのだろう、例年になく良く咲いてくれた。
自分でもびっくりするくらいで、さすがはボクも門前の小僧なのだなぁと、実感させられたものである。
何事も基礎的な知識というものは大事で、それさえ身についてしまえば、後はどのようにも対応可能なのだ。
近所の人たちからも妻を通して賛辞が寄せられているし、道行く人がしばし立ち止まって見とれたり、思わず「わぁ~きれい!」などと言う言葉を漏らすのを陰ながら耳にしたりすると、こちらの意思とは別に頬の筋肉が勝手に緩んでしまうのである。
バラの終わってしまった庭が寂しいのは当然だが、これまでわき役だった花々が存在感を出し始めている。
ホタルブクロ、フウロソウ、アジサイ、サルビア・ネモローサ…。
ナンテンも花を開き始めたし、ハンゲショウもぼちぼち葉っぱを半分だけ白く染めるころである。奇妙な球形の青い花を咲かせるルリタマアザミも少し水色が差してきている。頭上ではまだハナミズキの白い花が盛りで、地上直近に天の川の出現させてもいる。
ミニトマトだってゴーヤだって地味だけれども小さな黄色い花を咲かせ、こぼれダネで芽を出したサルビアやインパチェンスもだいぶ成長してきている。
今朝は久しぶりに雲が低く垂れこめた梅雨空だが、自然界はかくも旺盛なんである。
少し水色が差してきたルリタマアザミ
やがて赤い実を結ぶナンテンの花
フウロソウ。別名アゲラタム。
バラは終わったとはいえ、つるバラの伽羅奢はまだ少し残っている。クレマチスはエミリア・プラター
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事