ブロ友さんに実に興味深いことを教えてもらった。
1980年 大平正芳首相
2000年 小渕恵三首相
いずれも首相在職中に亡くなった2人の名前だ。
2人の死はよく覚えている。
特に大平首相の場合は総選挙の真っ最中、自民党総裁として選挙遊説の先頭に立っていた時、突如倒れてそのまま帰らぬ人となった。
しかも、その〝動かぬ証拠〟というか、決定的瞬間を複数の新聞社のカメラマンが目撃していて、それをカメラに記録していたのだ。
その〝決定的瞬間〟が記録されたのは横浜市のJR戸塚駅前での街頭演説会だったと記憶している。
その街宣車の上で手すりに上半身を持たれかけ、額にMの字のしわを作って疲れ切った表情をさらしたのだった。
それも瞬間的なことではなく、よほど疲れて具合が悪かったのだろう、数分間に渡ってその姿勢を取り続けたから新聞各社のカメラマンもいやおうなしに異変に気付き、カメラのシャッターを押したものだから、翌日の朝刊には各社一斉にその疲れ切った表情の大平首相の顔が全国津々浦々の茶の間に届けられたのである。
思えば衝撃的な写真だった。
その写真を撮られた日から2、3日後には入院し、狭心症でそのまま亡くなってしまったのだった。
小渕首相の場合はもう少し印象は軽く、八百屋の店先でカブの束を両手に持って「株上がれ~」なんぞとアホくさいパフォーマンスをやるのをみて、さっさと辞めてくんないかなと思ったものだった。
それからしばらく経った日、小沢一郎氏らと連立解消協議を終えた後、急に体調不良を訴え入院、脳梗塞を起こし意識が戻らぬまま亡くなった。
脳梗塞だったようで、そのまま意識さえ回復することなく亡くなっている。
しかも、その後が噴飯もので、なんとか5人組とかいう自民党のボスの一部が密室で「つぎは森にしよう」と5人の中から勝手に決めて、「神の国」発言の森喜朗が短命内閣を組織したのだった。
それが1980年と20年後の2000年と言う訳なのだ。
となると…そのまた20年後って…、今年じゃないのっ !
2度あることは3度ある…ってのは日本人なら誰でも知っている。
しかも現職首相のなんとかさんは体調がすぐれず、何度も病院通いをしていて、見るからに表情に生気がないし、顔色だってよくない。
しかもブロ友さんによれば姓が「あ」行で2人と同じだとまで言う。
う~む…そこまで言うか…
昨日の午前中、ガラスの折り戸を全開にして網戸の内側で本を読んでいた
真夏の太陽は相変わらず強烈な光を送って来ていてたが、時折その強烈な光とともに激しく雨も降ってきて、照っているのに雨が降るという特別な天気になって、慌てて洗濯物を庇の内深くに移したり、結構楽しませてもらえた
同時に沸き起こる雲の表情もまた見もので、今年初めて身近で入道雲が育つのをじっくり見させてもらえた ♪