もうダウンジャケットとはおさらばして、ウインドブレーカー程度に変えたい気分でもある。
実際、外に出てみれば光はもう冬のものではない。立春を過ぎるころから「光の春」と呼ばれてきたものの、「光の」という形容詞はもう必要なくなってきていて、「そのものの春」になっているのだ。
先週の土曜日に近くの緑地の奥の谷戸で初音を耳にして以降、まだ住宅地にまで出てきて縄張りを宣言する元気の良いウグイスは現れていないが、これも時間の問題である。
友人のブログに目を通したら、タイツを脱ぎ捨てたので身も心も軽くなったとあった。
フム、奴は股引の代わりにタイツ愛好者かと思ったが、何を隠そうボクは伊達の薄着ではないが、今冬タイツをはいたのは寒中の坐禅会に参加する時のみ。ひざ上までのタイツをはき、その上にカイロまで張り付けて出かけたが、それ以外はちょっと厚めのジーンズだけで過ごしたのだ。
ん? 他意はありません。客観的事実を事実として書いているだけです。ハイ。
そうそう、〝サヨナラ3月またきて4月〟ってのがありましたナ。イヤ〝サヨナラ三角またきて四角〟だったっけ?
関係ないか、やっぱり。
昨日は久しぶりに東京湾に面した日帰り温泉に出かけ、露天風呂から目の前を行き交う貿易船を眺めていたのだが、風が冷たいのには閉口した。
何せ、長く浸っているとさすがにのぼせてくるものだから、湯の上に上半身を出すとこれが寒いのだ。
身を切られるような、とはこのことで、数秒風にさらしてすぐに湯の中へ逆戻りである。
晦日だったからか、さすがに空いていて、のんびりできたのだが、これがポカポカした陽気の日であれば、長時間、身体がふやけるまで浸っていたかったのだが、風の冷たさに急き立てられて適当に切り上げざるを得なかったのは、少々残念だった。
湯に長く浸れば腹が減る。何とも怠惰で贅沢な話ではあるが、いつの間にかそういう身分になったのである。
なってしまった以上、これはどっぷりと境遇に浸り、謳歌するのが善良で実直な日々を過ごしてきた日本人の務めなのである⁉
かくなる上はランチサービスの1026円の地魚握りを食さんと、三浦海岸まで車を走らせてみたところ、店は何事かと思わせるほどに長蛇の列ができている。
〝おひとり様〟ゆえ20分ほど待たされただけでカウンター席に着けたが、近くで河津桜と菜の花の花まつりが開かれていて、その見物客がぞろぞろと押しかけていたんである。
穴場だと信じ込んでいたのだが、ネット社会の恐ろしさなんだろうか、衆人の知るところとなってしまっていたようである。
従業員はてんてこ舞いの様子で「先週はもっとすごかったんですよ」とレジのお姐さんの顔は正月の福笑いのような表情に。そりゃ笑いが止まらないでしょうよ。
普段より空いた温泉に、片やめちゃ込みのすし屋。
日本という国も奥が深いと申しましょうか、多様で、しかも一定程度、元気なんでしょうね、それなりに……
雪とけて 村いっぱいの 子どもかな 一茶
円覚寺黄梅院の侘助? それともちょっと珍しい白椿?
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