平方録

姫から手紙が届いた

姫から手紙が届いた。
春休みの5日間、親元を離れ、1人でじいじとばあばの家で過ごしたわけだが、その楽しかった思い出がつづられている。
楽しかったことは山ほどあるのだろうが、そのごく一端を書いただけの手紙だが、宛先の住所から宛名まですべてひらがな交じりの自筆で書かれている。
とても綺麗な字で、何度か練習してから書いたように思われるのだ。
綺麗なうえに、とても丁寧に書かれている。一生懸命に書いたことがひしひしと伝わってくる。

手紙というのは書くのも好きだが、もらうのはとても嬉しく、好きである。
それが孫娘からなのだから、天にも昇る気持ちで封を開いた。
携帯電話のテレビ電話機能を使えば顔を見ながら直接話せてリアルなのに、手紙とは随分古典的な手段を取ったものである。
その意外性も含めて嬉しい。

手紙を書く行為は、その手間をかける分、伝えたいことを整理し、文章にまとめて丁寧に書くため、相手のことを思い浮かべながら行うという点において、電話に比べてその濃密の度合いが違ってくる。
その作業を時間をかけてしてくれたことがまた嬉しいではないか。

金曜日に送り届けてサヨナラした時、声を上げて泣いた後、家に着いてからも泣いていたらしい。一晩経った翌日の土曜日も親しい家族と花見に出かけたらしいが、大好きなピザやお菓子がたくさんあったにもかかわらず、あまり口にしなかったんだそうである。
母親によれば、“寂しい病”にかかってしまったらしく、それも重傷だという。
電話して慰めようと思って母親に連絡したら、かえって重症度合いが深まるので、止めた方がいいというのでかけなかったのだ。
心配していたところに届いたのが今回の手紙なのである。

娘のメランコリーな気持ちを何とかほぐそう、元に戻してあげたいと、手紙という手段を使って作業に没頭させたものと見える。
先ほども書いたが、手紙は相手を思い、自分の心を整理するのに役立つ。
楽しかった思い出をまとめ、じいじとばあばの顔を思い出しながら書くことによって、気持ちも落ち着くはずで、現状の姫の気持ちを思うと、理にかなったものといえる。
わが子を思う気持ちがそうさせたとはいえ、母親も随分成長したものである。見直した。

辻堂海浜公園に出かけて空中を走るモノレールのような足漕ぎの乗り物や自転車に乗りまくったことが楽しかったと書かれていた。
波打ち際にも行ってしばらく波と戯れて歓声を上げていたし、思う存分はじけていたのは間違いない。
手紙は「また、あそぼうね」で結ばれていた。
「あそんでね」ではなく、「あそぼうね」という表現こそ、姫にとってのじいじの関係性を的確に表したものなのである。

もう一つ、宝物を手にした気分である。



近所の山にはヤマザクラが目立つ。これが青空だと一層引き立つのだが…
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事