昨日の早朝、台風10号の余波で長雨が続いていた当地に、突然降ってわいたような好天が日の出前から広がり、「よしっ、久しぶりの早朝パトロールだっ♪」と勇んだところまではよかったのだ。
それが、自分でも不思議だが、どういう風の吹き回しか、己の判断を信じず、ネットの天気予報が5時6時台に記した傘マークを信じてしまい、出発寸前で中止してしまった。
ところが、雨が降るどころか好天はその後も続き、結局一日中、真夏の太陽が顔を出し続けたのだから何をかいわんやである。
何をもってわが判断は狂ってしまったか…
日の出前の東の空に灰色の雲が広がり始めたこと、西の空に薄くひっかいたような雲が現れたように感じたこと…
そんなことが重なって、水平線が望める海辺に出ても、朝日に照らされる富士山は見られないだろう、という勝手な判断をくだしてしまったことがその第一だと思う。
そして、出かけることをためらう判断を「そうだ、そうだ」とはやし立てて背中を強く押したのが「やめておいた方が無難だぜ、どうせ富士山は見えないぜ」という、「怠惰」を喜ぶ自堕落な気持ちに他ならないように感じられる。
「よしっ♪」と、最初に沸いた気持ちをそのまま行動に結びつけておけばなんてことはなかったのに、なまじ余裕を持ってルーティーンのヤカンで湯を沸かし続け、あろうことかシャワーまで浴びていたのが、そもそもの失敗である。
端から「こんな早朝から…」と、出かけることをためらう深層心理が働いていたと思わざるを得ない。
日本語には「厭う」(いとう)という言葉があり、なにも珍しいことでも何でもない、ごくありふれた心の働きだが、そいつがふわぁ~っと現れた。
こういう心の動き、働きというのも、歳を取ると出やすくなる一種のローカ現象なんだろうなと思うと、つくづく歳は取りたくないなと思う。
やれやれの心境である。
富士山は果たして見えていたのか……気になって、午前10時前に車で江ノ島まで行ってみた
江ノ島湘南港灯台の空
灯台の上に広がる雲は秋の雲
南西に目を転じると、伊豆半島の上空には巨大な積乱雲が発達中…
入道雲を取り囲んで秋のものらしき雲も
秋の雲より夏の雲の方が好きだなボクは
夏と秋が入り混じる空
台風10号崩れの熱帯性低気圧は紀伊半島の南と、比較的近いところにいるはずなのに、波浪はほとんどない
さて富士山
片瀬漁港の防波堤越しに見たところだが、赤灯台の上付近に富士山の左側の稜線がふもとまで見えている
多分、日が昇るとともに雲が山体に絡みついて行ったんだろう、この時刻はほとんど隠れてしまっているが、この分だとやっぱり早朝パトに出ていれば、富士山はくっきり見えたはず
今日だけ時間があるという山の神に誘われて隣町の小さいながら小じゃれた商業施設へ行ってランチ
食事の後は「本屋プラス喫茶店」でほうじ茶ラテなんぞを飲みながら、売り物の本を手にしながらしばし読書
読みかけた本は哲学書なのだが、意外に面白く、そのまま買って帰ってきてしまった♪