見出し画像

平方録

夢さめて みればもとより 蓮の上

今年も蓮の花の咲く季節が巡ってきた。
この花を見ると決まって思い出す句がある。

 夢さめて みればもとより 蓮の上

去年の円覚寺の卓上カレンダーの8月に添えられていた横田南嶺管長の筆になる句で、蓮の俳画とともに描かれたものを切り取ってパソコンの脇に飾っている。
ヒトというのはそもそも極楽浄土の蓮の上で生まれ、蓮の上で暮らし、蓮の上で一生を終えるものなのだから、あくせくと焦って極楽浄土を探す必要なんてないのだよ。そのことに気付きさえすればいいだけの事なのさ…と教えている。
去年8月7日に書いたブログを貼っておきます)

近所に日蓮宗の寺があり、江戸時代の建立らしいから鎌倉では〝新参者〟の部類に入るのだが「花の寺」の別名を与えてもいいくらいに折々の花を奇麗に咲かせているところが気に入っていて時折覗くことにしている。
数日前に立ち寄ったところ蕾がだいぶ膨らんでいたので、そろそろかなと思って改めて寄ってみたのだが、期待通り数株が大輪の花を咲かせていた。
色と言い咲姿と言い、ほれぼれする美しさ ♪

句の作者は不明だが、もしかしたら横田管長自身が詠んだ句ではないかと思っている。
機会があれば直接確かめてみたいものだ。

話はコロっと変わる。
昨日のブログで珍しいテントウムシに出会ったと書いたら、ブロ友さんから「よく似ているけどテントウムシとは別の甲虫でイタドリハムシ辺りではありませんか ? 」というご指摘を頂いた。
よくよく調べてみるとその通りで、ボクがヒメカメノコテントウだろうと思い込んだ昆虫は頭が真っ黒なのに対して、本物のヒメカメノコテントウなら頭の一部分が白いはずで、そこがまず明らかに異なっている。
ただ、身体の模様はかなり似通っているが、やっぱり慎重に調べないといけない。
そこは反省しきりであります。

このブロ友さんは女性の絵描きさんで横浜で絵画教室を主宰しておられるが、爬虫類好き、両生類好きと公言されていてブログにもその生態がしばしば登場する。
ボクは近くで見るのはゴメンだが、写真で眺める程度なら「へぇ~」「ほぉ~」と興味深く見ることができる。
もちろん爬虫類や両生類ばかりが登場するという訳でなく、自然界を植物やらキノコ類まで含めて相当幅広く題材にしているから大いに学ばせていただいていて、何より画家の手になる写真というのもまさに一幅の絵で、とても美しい点も特筆されるところなのだ。
なにげない身の回りの光景を細かく観察しているとはいえ、あれだけ美しく、かつ「へぇ~」「ほぉ~」とお感じさせるくらいに切り取れるところはさすがに芸術家だなぁと感心もしている。
その「教室・自然いろいろブログ」をぜひ一度ご覧あれ。

今朝はとても強い雨が降っている。
お陰で空気はひんやりしていて、昨夜来の熱帯夜とまでは行かないものの、朝まで部屋に充満したままの熱気を覚ますにはちょうどいい。
日曜日の、それも早朝の住宅街の事だから、物音は激しく屋根や地面をたたく雨音だけ。
明るさを増してきた周囲の景色もぼんやり霞むくらいの激しい降りで、雨音はいよいよ高くなっている…

静かな環境で聞く雨音というのも心の落ち着きをもたらすものである。





こうした花々を見ているボク自身が蓮の花の上から覗いているってことなんだろうね

コメント一覧

平方録
うらやましい
http://blog.goo.ne.jp/heihoroku
ややっ「獅子身中の虫」をお飼いですか。
もっともおいちゃみさんの身中の虫は悪さをするというより心のビタミンのような存在でしょうかね。
羨ましい虫じゃないですか。

無念無想をお望みなら必要と思える時にそういう状態になれればいいんであって、常日頃は雑念まみれもまた楽しからずやじゃないかと、ボクは思っています。
「答えは自身の内にあり」…いい言葉です ♪
おいちゃみ
平方録様、ご紹介いただきましてありがとうございます。

夢さめて みればもとより 蓮の上
心が穏やかになる句ですね。
何かを表現するとき「自身の内に答えはある」と頭では理解していても外へ目を向けてしまうことの繰り返しです。
森にいる時以外に無念無想になれればと思いますがまったく修業が足りず。。
今日のような土砂降りでさえ出かけたくてうずうずする自分の虫を抑えるのも大変です。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事