平方録

近美にお別れの挨拶をしてきた

鶴岡八幡宮境内にある鎌倉近代美術館が今月限りで閉館になってしまうので、見納めに行ってきた。
実は3日前の成人式の日にも出掛けてみたのだが、3連休の最後の日だったためか入場券を求める人の長い列が出来ていて、地元に住んでいるのに何も混みあっている時に来ることもあるまいと、出直したんである。

結論から言うと、行列は3日前の休日と変わらなかったのには、正直言ってあきれた。
私たち夫婦のすぐ後ろに並んでいた女性の二人連れは窓口で「仙台から来ましたの。2枚お願い」と、わざわざ「仙台から」と言わずもがなのことを口にしていて「あぁ、日本人だなぁ」と思ったものである。

だって、そうだろう。美術館を訪れるのにどこから来たかなんて問題じゃぁないからねぇ。
「ワタクシタチってすごいでしょう? この美術館が閉館されてしまうっていうから、随分と遠くから来たんザァマスのよ」てな具合の響き、優越意識がつい口をついたようなのである。

いや、大変な美術愛好家で、日本の公立美術館として一番古い1951年の開館直後から通い始めたツウだったかもしれないが、ツウだったとしたって、切符売り場のオネエサンにわざわざどこから来たなんて言う必要はないと思うんだけど…。
今年で開館から65年。かつて鎌倉に住んでいて10歳から通い始めたとすれば御年75歳。まあ計算が合わなくもない。

NHKテレビの日曜美術館が昨年末「さよなら わたしの美術館~“カマキン”の65年~」と題して放送したらしい。
そのせいで、連日長蛇の列なんである。
ちなみに“カマキン”という呼び方には抵抗を感じる。近年、鎌倉別館、葉山新館と相次いで姉妹館が完成したので、区別するためにそう呼ぶようになったらしいが、高校生のころから「キンビ、キンビ」と呼んでいたし、世間もそれで通用していたんである。

それにしても、日本人はつくづく「サヨナラ」に弱い民族なんだと思う。
普段はガラガラの寝台列車の廃止が決まると、途端に切符が取れなくなったり…

「勧酒」 于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

井伏鱒二の訳

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

実に日本人にはこの井伏鱒二の名訳がしみこんでいるんだねぇ。

最後の展覧会は「鎌倉からはじまった。1951-2016」と題するもので、収蔵品が展示されている。
ここの収蔵品は時々見ていたので、今回は建物に重点を置いて眺めてきた。浸ってきた。
美術館としては小ぶりできゃしゃに見える造りだが、八幡様の緑と源平池にせり出すように建てられ、あけっぴろげになって自然と一体化しているような佇まいは築65年とは思えない斬新さである。
20世紀を代表するフランスの建築家ル・コルビジェの愛弟子・坂倉準三の設計。
パンフレットには「坂倉は桂離宮のような日本の建物と庭園との密接な関係を研究し、『自然環境との調和』を重視してこの建物を構想しました。敗戦からの再生を反映するような、伝統への意識と清新な創意を味わえる建築です」とある。

閉館後は付属の建物2棟は取り壊すものの、この建物自体は鶴岡八幡宮に引き継ぐ方向で調整中だとか。
そもそも国史跡に指定された鶴岡八幡宮境内では史跡にそぐうもの以外の現状変更が認められず、美術館として改修することが困難なため閉館が決まったもので、神社が史跡に沿った使い方をすれば改修も可能、というように読みとれるのである。
源平池に、このモダンな建物が影を写し続ける可能性が残されているようなのである。




八幡宮の本殿へ続く太鼓橋脇から源平池越しに見る近美。


参道側に建てられた最後の展覧会を知らせる看板。


県道側から入ってすぐの位置から見る正面入り口。いきなり2階に上がるのだ。


2階の展示室から中庭と彫刻室へ続く階段付近。


天井に源平池の波紋が踊る彫刻展示室の一角。


中庭に置かれたイサム・ノグチの「こけし」。
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