平方録

梅雨の晴れ間の太公望

江の島の湘南港。その真っ白な灯台が立っている堤防で釣り人が40センチくらいはありそうなクロダイを釣り上げたのを目撃した。
イワシなどの小魚ばかりかと思っていたら、あんな立派な魚が潜んでいたんである。
タモ網を使ってようやく岸壁の上まで引き上げるほどの大物である。
脇でほめそやす連れの女性に「岸壁の壁際を狙ったんだ。執念だよ」と鼻高々に説明していたが、まぁ自慢したくなるのももっともである。

すぐに血抜きをして2、3日置いた後に刺身で食べたら、さぞかし絶品だろう。
血抜きの効用というのは飛騨のジビエ料理屋の主にとっくりと説明されたので、実感として理解できるのだ。
しかし、釣り人はそんな事をする様子はなかったから、そのまま持ち帰るのだろう。
魚屋の店先で首筋と尻尾に包丁が入れられた状態で売られているスズキや、まれにマダイを見ることがあるのだから、やはり血抜きは必要だと思うのだが。

堤防の内側では家族連れや友だち同士でやってきて釣り糸を垂らしている人が多く、しばらく眺めているとサビキにイワシの小魚を3、4匹引っ掛けて釣りあげる光景を目撃したから、狙いは小魚と見える。
このサイズだと、刺し身は無理だろうから、さしずめ素揚げにして食べるのだろうが、まぁそこそこのおかずにはなりそうである。

海釣りというのは何度か経験があるが、船釣りでは1匹も釣れないという事はめったにないかわりに、費用がかかり過ぎるのが難点である。
アジ1匹が1000円や2000円もしてしまうのでは、気分転換にはなってもチョットナァという気分である。
岩場とか岸壁とかで日がな1日釣り糸を垂らす、というほど暇もなかったし、それほど気が長くもないので、適しているとは思えない。
新鮮なものを魚屋で買ってきて、それを肴に一杯やる方がよっぽど効率的でコスパは高い。

われわれ現代人の血には狩猟で日々の糧を得ていた遠い祖先から受け継いだDNAが存在するのだろう、獲物を釣り上げた時の快感は、どうしてこんなに興奮するんだろうと思えるほどの快感と幸福感に包まれる。
かつて四国の四万十川をカヌーで下った時、キャンプを張った河原の脇に流れ込んでいる小さな川の淵で夕方釣り糸を垂らしたら、オイカワという小さな魚が次から次に入れ食い状態で釣れて、素揚げして食べたことを思い出す。
だから釣りの醍醐味、楽しみは十分わかっているつもりだが、如何せん気が短い人間には向かない遊びである。
ましてや江ノ島界隈では釣り糸が他人のつり糸とこんがらがってしまいそうで、ストレスになりかねない。

梅雨の晴れ間の土曜日。既に午後の4時に近いというのに、シラスの看メニュー板を掲げた島内のレストラン・食堂には軒並み長蛇の列ができていた。
その食堂街を抜けたずっと奥の岸壁では小魚を釣り上げるたびに、キャッキャと嬉しそうに騒ぐ声が響いていて、みんなそれぞれに非日常に浸っているんである。
表面だけ眺めていれば、平和そのものである。




江の島の岸壁の灯台とクロダイ
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