やっぱりね、あの映画を見ちゃうとね、どうしたってもう一遍とらやの草だんごを食べ、帝釈天の境内や江戸川の土手を歩いてきたくなっちゃうのさ。
昨年末に封切りされた「男はつらいよ お帰り 寅さん」(拙ブログ「やっぱり寅さん さすが寅さん」1月18日).
寅さんの故郷、葛飾・柴又に出かけるのは何度目かなぁと記憶をたどるのだが明確には思い出せない。
記憶の片隅にあるのは柴又駅前の広場に寅さんの銅像が立っていなかったころの光景と、銅像が出来て人気になっているのを知って「へぇ~、ほぉ~」と出かけてみたことくらい。
ということになると3度目か…
寅さんの銅像が出来たのは前世紀 ! の、まだ20世紀だった1999年のことだという。
その直後に訪れたとすると、かれこれ20年近い歳月が流れ去っていることになる。光陰矢の如しはいたるところで実感していることなので、さもあらん。
しかし、柴又は遠い。わが家から柴又駅の改札を出るまで2時間20分もかかった。東京を横断しちゃって千葉県との境まで行くのだから、はるばる感は否めない。
電車は3度も乗り換えたし…
新橋で地下鉄都営浅草線に乗り換え、直通運転の京成電鉄高砂駅で金町線に乗り換える
金町線は一端改札を出て、100数十メートル先にある
だらだらスロープが続く
路線図を見てびっくりしたのだが、常磐線金町駅とを結ぶ京成・金町線は途中駅が1つしかない。
そのたった1つの途中駅が我らが寅さんの故郷「柴又」
地上を走っていた電車が急こう配を登って高架ホームに差し掛かる
あれっ、映画に出てきた電車はクリーム色と赤のツートンカラーの電車だったが、いつの間にかステンレスに帯を巻いただけの今風に変わってしまっている
やっぱり歳月は人を待たないんだねぇ
久しぶりに家に帰ろうとする寅さんの目の前に、いきなりこんな電車が止まったらさぞ戸惑うことだろう
高砂駅からはあっという間に柴又到着
お久しぶりです
さくらの像が建てられたのはわずか3年前の2017年
「重要文化的景観」ってのは国が定めるもので、全国に65か所あるそうな
そのうち関東地方にあるのは2か所で、そのうちの1つがここ葛飾柴又だって
なるほどね
なんてったって参道沿いの商店街を歩いている人たちの表情がいいよナ
正直で慎ましく生きてる人たちだよ、きっと
遅い昼飯を食べたうなぎ屋の女将によると「昨日まではお正月の続きでごった返していたけれど、今日はガラガラ」だって
まっ、確かに鎌倉の小町通に比べるととても歩きやすかったし、ウナギも待たずに食べられた
1作目から4作目までは実際にこの店内を撮影に使ったそうだ
帰りにここで草だんごを買って帰った
二天門の堂々たること ! 雰囲気ある参道だよなぁ
帝釈堂を背にする「瑞龍の松」は都指定の天然記念物
幹がまっすぐに天に向かって伸び、3本の大枝は北、南、西をまっすぐに指して長く伸びている
案内板には「その生き生きした姿は、頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る『龍』のようです」とある
二天門と大鐘楼の佇まいもなかなか見事
本堂(左)裏からの眺め
少年寅次郎はこの辺りを遊び場にして悪戯しては御前さまに叱られていたはず
2年ぶり ! にウナギを食べた これも寅さんのお陰 ♪
ウナギってこんな寸詰まりじゃなくて、もっと長~い生き物のはずなのに…
オトコは細かなことは言わないものだ いいじゃないかそんなこと
仲居さんが「さぁどうぞ、『松』です」とボクの前にご飯なしのかば焼きだけのお皿を置いた そのウナギのふっくらとして大きかったこと !
でも、ボクが頼んだのはごはんの上にかば焼きを乗せたうな重でしかも松竹梅の「梅」
知らん顔して食べちゃえばよかったかもしれないけど、根が正直で小心者だからとてもそんな真似は出来ないし…
でも久しぶりに食べたうな重は美味しかった
帝釈天を囲む石柱の塀には寅さんもさくらもおばちゃんもいる
江戸川の堤
向こう岸は千葉県
大きな川には広い河川敷があって、その空間の広がりが何とも言えない
矢切の渡しまで歩いて行ったが、平日はお休み
ゆったりとではあっても流れはあるんだろう…でも池みたいな川だ
渡しから200mくらい下流の土手下に「寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」が出来ていて、暇つぶしに寄ったら、懐かしくて懐かしくて結構長い時間、飽きずに見て回ってしまった
この画像はとらやのセットで、店の中に1歩入り奥の茶の間方向を見た光景
このテーブルを囲んで寅さんを中心にガヤガヤやっていた
時にはマドンナも加わって…
寅さんが降りてきそうな例の階段
手すりの柱のてっぺんに入ったひび割れが何とも言えずにいい具合だ
すっかり夕方になってしまった
下町ってのは夕日がすっごく似合うところだね
帰りは柴又からまた電車に乗って逆方向の金町に出て、常磐線経由で帰ってきた