冒頭の15分間の坐禅に引き続き、管長のお出ましを願う大太鼓の連打が張り詰めたような冷たい空気とそこに坐っている者たちの五臓六腑を揺さぶるように鳴り響く中を管長が登場。般若心経、白隠禅師坐禅和讃などの読経が始まったところまでは普段と変わりなく進んだ。
読経が終わると盤珪禅師語録という元禄時代に活躍した禅僧の教えを書き残したテキストに沿って、横田南嶺老師が朗々と読み上げた後、中身の解説をしてくれ、参加者は坐禅を組んだまま4、50分の間じっと聞くのである。
このテキストの朗読に入る前に、管長がカミナリを落としたのだ。
「長いこと居士林で修行をして、袴をつけるようになって偉くなったとでも思っているのか! なんだ、あの木魚の叩き方は。親の仇でも討っているつもりか。実に耳障りな音だ。あれでは木魚も壊れてしまうだろう。木魚がかわいそうだ。読経の後気持ちよく読み下していこうと思っていたのが台無しじゃ!」
読経をリードするのは円覚寺の僧の役目だが、木魚をたたくのは出家しないまま居士林で修行している在家の人が交代で務めている。
正直言って、ボクもいつもと違った木魚の音で、やけに力を入れているなぁと感じたし、たたく感覚が普段聞きなれているものより間隔が開いている感じがして、読経のスピードが普段よりも遅いのが気になったのだ。
違和感というやつで、管長の言うとおり、確かに耳障りでもあった。
そこを一喝したのである。
日曜坐禅会での管長の一喝は目の当たりにしただけで2度目である。
1度目は経読みや時間の管理、小さな鐘のようなものを鳴らしたりして坐禅修行を仕切る役目を「直日(じきじつ)」というそうだが、その直日を務めた弟子の僧に向けられたものだった。
管長が読み下しを始めようとしたした時、参加者がざわざわとページを手繰る音が続いたのである。
そのざわつきが収まるのを待って管長のカミナリがくだんの僧の上に落ちたのである。
「偉そうに直日のお前さんは一人テキストのページを開いて涼しい顔をしているが、参加者は戸惑ってしまっているではないか。何様のつもりであるか!」とやったのである。
実はこのケースは参加者の側に非があったのだ。
直日の僧は管長が現れる前に「今日はテキストの〇ページの〇行目からです」と参加者に知らせていたのである。
カミナリを落とされた僧は「ハイッ」「ハイッ」とそのたびに頭を垂れていたが、参加者のだれ一人、ボクも含めてだが、「彼はわれわれに間違いなく伝えてくれていたのだ。ざわざわしたのはわれわれの責任である」と管長に異議を唱える者はいなかった。
それは多分、僧に向かって怒っている体裁だが、実は管長はわれわれ参加者をたしなめているのだナ、ということを感じたからだろう。
例え週に一度の場であっても、この場は禅の修行の場なのである、ということを管長が伝えようとしているな、ということを感じ取ったのである。
いかし、木魚へのクレームは参加者とは無関係である。
木魚をたたくことも修行。その修業がなっちゃぁいないぜ、と喝を入れたのだと思う。
提唱後の読経の際の木魚の音はずいぶん大人しくなり、その分、間隔の幅も狭まって普段感じているリズムに戻ったようではあるが、それでもなにがしかの耳障り感が残っていたのは、たたいている側の人間に別な原因があるのかもしれない。
禅寺における指導役の僧侶の厳しさは有名で、かつては人格などないに等しいような厳しさにも耐えなければならなかったようだが、今でも本物の修行僧たちに対しては相当厳しいカミナリが落ちているはずである。
「叱ってくれる人」など世の中から消えかかり、絶滅危惧種のような存在になってしまった社会で、こうした厳しさというものが残っているということを、大切にした方がいいと思うのである。
坐禅会が終了すると、居士林を担当している和尚があいさつをするのだが、この日は姿を見せなかった。
初心者と思しき参加者が20人超ほどいて、中には分厚いダウンジャケットやコートを着たまま、あるいはポシェトまでぶら下げて坐っている若者がいて、これなども違和感大であった。あらかじめ注意しておかなければいけないはずである。
管長に別室に連れていかれ、「いったい何を指導しているのか!」とこっぴどくカミナリヲ落とされていたはずである。
円覚寺境内の居士林のモミジもあらかた散ってしまった
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