平方録

願うネ、神のご加護ってやつを

何とも分かりやすい奴である。

あまりに分かりやすくてせき込みそうだ。開いた口が開きすぎて顎も外れそうである。
アベなんちゃらという男。
これまでの言動を見ても思慮深さやら謙虚さとは対極に位置する人物だなと感じてきたが、またぞろその片鱗を垣間見せ始めた。

何の大義もない解散に打って出て、今度こそ大敗北を喫するんだろうと思っていたら…
またぞろ衆院の3分の2を超す議席を獲得してしまった。
ボクに言わせればキツネにつままれたような話で、それ以上に最大級の悪夢でもあるのだが、とにかく〝事実は小説よりも奇なり〟などという使い古された言葉が今回ほどぴったり当てはまるのも珍しいくらいだ。

で、その大勝利後の2、3日はあたかも宗旨替えしたかの如く「謙虚にやる」「謙虚さが何より大事だ」「謙虚、謙虚、謙虚、謙虚」などと口を開けばケンキョ、ケンキョ、ケンキョ。
それでも足りないと見えて、閣僚たちにも同じ言葉を使うことを命じたものだから、永田町界隈はケンキョ鳥の大合唱で、こりゃまた謙虚とは対極のような騒ぎ様だなと思っていたら、案の定である。

野党は3分の1に満たない議席しか持っていないんだから質問時間を減らしちまえ、と言い出したのだ。
何も驚くような話じゃないぜ、軽さも軽し夜わの月かな…って何んのこっちゃか書いているボク自身にも意味不明で、強いてあげれば五七五七七の七七をつぶやいたつもりだが、分かるヒトにはわかってもらえるでしょう。
ともかく大事極まりないことを何んとまぁ軽々しく口にするもんだネと言う呆れ以外の何物でもない。

でもこれが唐突、藪から棒の驚天動地の発言じゃなくて、奴なら言い出しかねンなって感じさせるところが「分かりやすさ」の正体である。
天にツバするというのはこのことで、並みの人間なら出来っこない発言なのだが、そこはわれらがアベなんちゃらではないか。
いとも簡単に天に向かってツバ吐きかける。それも例のドヤ顔でやる、ってことなんぞはオチャノコサイサイ、へのへのもへじなんである。
そんなことしたらどうなるかって想像力も持ってないんだよな、きっと。

民主主義って多数決で決まるんだよ。
そんなこと今なら幼稚園児だって理解しているぜ。百も承知、二百もガッテンだよ。
だからこそ大事なのは少数意見に耳を貸すこと。多数意見と異なる主張を丁寧に聞いて、できることならその言わんとするところを何とかくみ取って、施策に反映させるのが多数派の努めなんである。責任なんである。
これ、民主主義のイロハってやつで、ボクなんか脱脂粉乳のまずさ極まりない給食を食べながら小学生のうちから学んできたんである。

それがあろうことか、あんなに大きな図体になりながら聞く耳は一番ちっちゃな耳にしようと言うんだから、開いた口が塞がらないどころかアゴが外れかけてしまうのだ。
逆だろ! 一番大きな耳が必要だろ!
かくなる上は祈ろうじゃないの。
紙のごとき薄っぺらな判断と、その薄っぺらな判断をドヤ顔で発信する人物に大量の議席を与えたわれらが有権者の皆さんに紙の…じゃなかった、神のご加護のあらんことを。





秋晴れだった一昨日の金曜日、猫の額の庭の青色のセージに真っ黄色のチョウがじっと止まっていた。キタキチョウ?




ボケの実を放置しておいたらやや小ぶりのこぶし大にまで大きくなって色づいてきた


黄色尽くしに近所の寺のツワブキを添えておきまする
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