「濃紫系柳」「石畳咲」「蜻蛉葉」「姫」の4種である。
残念ながら「懸崖」という品種が発芽してくれなかった。
種苗メーカーが販売しているタネ類はすべて薬品処理されて発芽しやすいようになっているが、いただいたのは6~7粒と数が少ない上に自然なままのタネであるから発芽率は落ちるのが当然である。
水分を吸収しやすくして発芽を促すためタネの端っこを爪切りで切り落とし、一晩水につけるという手間をかけたのだから、「懸崖」にも芽を出してもらいたかった。
でも、芽を出してくれた4種でも「蜻蛉葉」が2株芽を出した以外は、すべて1株だけである。
みんなそろいもそろって気難しいのである。
苗も成長してきたので、昨日、梅雨の晴れ間を見つけてドタバタと大きな鉢に定植した。支柱を立てるまでには至っていないが、「蜻蛉葉」は文字通りトンボの形にそっくりの葉が開くのが特徴で、花はどんなだったか覚えていない。
「姫」は透き通るような明るい赤色をした小ぶりな花を咲かせる。まさに江戸時代の少女のような可憐さと言ってよいかもしれない。
残りの「濃紫系柳」「石畳咲」は初めてなのでどんな花を咲かせるのか楽しみである。
今のところ字面で想像するしかないのだが、なかなかイメージがわかない。
一瞬の晴れ間を見つけての定植作業だったが、それ以外は厚い雲に覆われた1日で、雨粒こそ落ちてはこなかったが黄昏時のような暗さだった。
それでなくともわが家の1階のリビングは庭にうっそうと木が茂っているので、晴れていても木下闇(こしたやみ)となり、夏の間は昼間でも暗く涼しいのだ。
昼ご飯を食べるときは明かりを灯して食べなけば何を食べているのか分からない暗さである。
須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇 芭蕉
灰汁桶の蝶のきげんや木下闇 一茶
あゆみあゆみあとや見らるる木下闇 千代女
買って間もないレコードプレーヤーで古いレコードを聞こうと思ったが、あまりの暗さにそんな気にもなれず、テレビをつけたら銀座に完成したばかりの観世能楽堂・開場記念公演の初日の公演の録画が始まるところで、思わず見てしまった。
もともと観世流の本家というのは江戸幕府から銀座に500坪の土地を与えられ、代々住み続けてきたんだそうだが、大政奉還とともに土地を明け渡して銀座から去ったんだという。
この度、6丁目の中央通りに面したところの再開発があり、そのビルの地下に復活したわけで、現在の26代当主である観世清和さんは「とにかく裃を脱いで気軽に足を運んで能の世界を味わってみてほしい」「銀座に戻ってこられて感無量だ」などと語っていた。
これで歌舞伎座と並んで、銀座は日本の伝統芸能の一大拠点の趣を見せてくれるようになるかもしれない。
ボクは横浜の中学生だったころに「舟弁慶」と、名前は忘れてしまったがとても面白い狂言を見て以来、お能に興味を持つようになったんである。
でも悲しいかな、なかなか見る機会に恵まれず、その後鎌倉に能舞台が出来て2、3度通ったことがあり、その時も十分に魅力を感じたのだが、それでも鑑賞する機会は限られていたんである。
最近は1度も見ていなかった。
もともと裃なんか持っていないから、一度26代の誘いに乗ってみようと思う。
テレビで放映されたのは観世清和の「翁」、梅若玄祥の「鶴亀」などで、能はテレビよりもナマで見るほうがより肌身に感じるものがあることを再認識した。
空気感の違いと言ったらいいのかもしれない。なんでもそうだと思うが、わけても能の静かな動きの場合は空気感は大事なように思える。
それにつけても26代が身にまとっていた「翁」の衣装は往時の当主が徳川家康から拝領したものだそうで、実に400年前の衣装だそうだ。
ウグイス色とでもいうのか、渋い薄緑色の衣装は色も模様も鮮明で、400年前のものとは信じられない美しさである。
伝統を守り引き継いできた宗家にはとんでもないものが保存されているものである。それだけでも敬服に値するというものだ。
木下闇で江戸のアサガオが粋な取り計らいを見せてくれたものである。
「変化朝顔」の苗。正午の位置から時計回りに「濃紫系柳」「姫」「蜻蛉葉」「石畳咲」。「石畳咲」は双葉からして変化が表れているかのようである。
こちらは市販のF1のアサガオのタネ。同じ時期に蒔いたのだが、育ち方のスピードからして段違いなのだ。
まだホタルブクロが咲いていて、隣にはヒオウギが咲き始めた梅雨時の庭である
こちらは「空蝉」の3番花。さすがに花の大きさはずいぶんとコンパクトになっている
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