今からちょうど60年前のこと。
覚えているのは、横浜市の郊外の田んぼの中に伸びる私鉄の線路の上や田んぼの中を「俺たちの邪魔をしたければしてみろ」くらいの大きな気になって、高揚感に満ち溢れ、天にも昇る気になってズカズカ歩いていく光景である。
3月初旬の事だから、田んぼはまだ田起こし前で渇いていたし、田んぼではないところは道のない林の中を一直線に突っ切り、渓流沿いに崖が現れればその崖をよじ登り、とにかくズンズンズンズンひたすら港近くの中学校を目指したのだった。
この酔狂を演じたのは同級生3、4人とだったと思う。
県立高校の合格発表を見に行き、たまたま居合わせた同じ中学からの合格者と合流し、喜びの余り「歩いて帰ろう」「一直線で曲がらずに行こう」と一決したのだった。
ボクらの中学から受験したのは10人ほどで、合格したのは7、8人だったと思う。
中学校にたどり着いて報告するまで3時間近くかかり、心配していた担任や進路指導の先生からちょっと怒られたが、ボクらは優等生でもあったし、事情を話すと呆れられたがすぐに許してもらえた。
これを書くにあたって駅間距離を調べたら11kmあったからそんなものなのだろう。
とにかく、その後の人生を「競争」という2文字と共に歩まされることになる団塊世代にとって、人生初の受験競争(またの名を受験戦争)という大仕事はこの時、成功体験を得たのだった。
昨日午前10時半過ぎ、わがラインに愛媛の姫から「高校合格したよー!!!!!!」という短い知らせが届いた。
第一志望の県立高校に合格したという知らせだった♪
愛媛は中学の卒業式後に合格発表があり、心細い思いでこの日を待っていたようである。
中学に通っている間はテニス部の部活に打ち込み、生徒会役員を務め、英検の2級も取り、中学に入る時に約束した「文武両道を頑張ります」の言葉通りの中学生活を送ってきた。
「やったぜベイビー♪」と返信したら「ほんとよかった!!!!」とホッとした様子が伝わる返事を返して寄越した。
4月1日に我が家に遊びに来る。
コロナ禍や受験勉強が重なり、夏も正月も来れなかったので、2年ぶりくらいである。
喜びと希望に満ち溢れた顔で「じぃ〜じ~、きたよぉ~」と勢いよく玄関を開けて入ってくる姫の姿が目に浮かぶ♪
種蒔きして育てたわが家のパンジー、ビオラが満開になって来た