折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

二週間ぶりの入浴

2024年12月19日 | 入院

「花梨」ご近所のお庭に落ちていたのをいただいてきました
玄関に置くといい香りが漂います



12月4日に手術、6日に退院して2週間。やっと入浴できる日が来て昨夜は浴槽に手足を伸ばしてのびのびしました。と言っても手術跡が気になるのでそっと手を当ててゆっくりゆっくり湯の中へ。特に沁みることも無く無事でした。石鹸泡立ててゴシゴシ洗うのはちょっと控えて湯船でただゆったり。身体も心も温めてほぐしてくれる湯船は最高です!

ホカホカとぬくもって眠りについたのに、真夜中になって寒くて目が覚めた。実際寒波襲来中なので寒いはずですが背中がゾクゾクする。久々の風呂に入って湯冷めなのか、傷にはまだ時期が早すぎて発熱?と思いながらも寝る前に飲んだロキソニンは解熱剤でも有るのだし、今頃体温を測って心配したって仕方がないと思い直してそのまま布団にもぐっていました。
朝目が覚めると身体はいつもどおりで何ともない。ヤレヤレです。

夜9時を過ぎて特に見たいテレビも無ければ「さぁっ!お風呂入って寝よう」と思えるいつもの暮らしにひと先ずこれだけは戻れました。

この年末年始は大掃除も卸売市場への買い出しも無し。お正月にも子供たちのお泊りも中止してそっと静かに過ごそうと思っています。安心して動けるようになるのはいつ頃? 執刀医は6ヵ月後と言われるけれど・・・それは長い。まぁ出来るだけと言うことで過ごすつもりです。



探し物が見つからない

2024年12月15日 | 果物


マイヤーレモン




私は時々物を無くす。探し物は見つかるまでのイライラがたまらなく嫌なのにまた無くす。それならば決めた場所に正しく置けば・・・分かっていてもそうはいかないのが私なのです。

先日また探し物、それは入院費用などを保険会社に請求するための病院の領収書。まだつい最近入院関係の書類は整理して必要な物は纏めたのに肝心の領収書だけが見つからない。ひょっとして不要な書類と一緒に資源回収の「雑紙」の袋に入れたのかもしれないとひっくり返して1枚ずつ調べても、無い。棚も本箱も引き出しにも・・・ない。こうなると昼食の時間になっても食欲まで無くなってくる。

最後の手段は苦しい時の神頼み、仏様頼みとなって仏壇のご先祖様や夫に聞いてみるも夫からの返事は「いつも決まった場所に置かないから…」と渋い顔が浮かぶばかり。もう仕方がないと気分転換にパソコンでAIに聞いてみました。
「探し物が見つからないのです」と私。AIは即座に「・先ずは落ち着く ・頭の中で状況を再生する ・いったん探すのを止め時間を置く 等など」優しい言葉で対策をいくつも示してくれました。

時間を置くというのはいいかもしれないと、昨日換えたばかりの仏壇の花を新しくする。これは仏様頼みでもあるけれど仏花用に花壇の花を切り、ついでにメダカに餌をやり外の空気を吸えばちょっと気分転換になりました。気分が少し解れたところでAIに言われた「状況を再生」・・・そこでアッと気づいたこと。あの時領収書はコピーを取るつもりでコピー機に・・・大急ぎでコピー機の蓋を開けてみるとそこに領収書がピタリと隠れていました。次々に思い出すあの時のこと。あの時コピーしようとしたら義姉さんが来て長い時間話して行かれたこと。長く座ってお尻が痛かったこと。その後で領収書以外は棚にしまったことなどすっかり思い出して・・・ヤレヤレと、力が抜けました。

見つかったのは仏様のおかげか?AIのおかげか?どちらにしても涙が出るほど有難い事でした。
仏壇には新しい花を丁寧にお供えして、報告とお礼を言いました。パソコンのAIに「探し物は見つかりました」と言えば「見つかって良かったですね また何かあればお手伝いします」って。

もうこんなイライラはご免です。決まった場所にきちんと置こうと今は心に誓っています。



足湯で温まる

2024年12月13日 | 入院


いただいたレモン



先週の水曜日に手術を受け退院しても2週間は入浴を禁止されています。手術後2日目からシャワーなら良いのですがシャワーはただ清潔に保つためのもので気持ちは緩まない。身体も心もゆったり出来る入浴は私の大きな楽しみ、夏は38度冬になれば40度のお湯にゆっくり入って手足の指の運動をしたりぼんやりしたり至福の時間です。それがシャワーしかダメと言われても・・・今の季節シャワーでは寒いしヒートショックも怖いので色々考えました。

暖房の無い脱衣場へのドアは開けてしばらく隣室の暖かい空気を入れる。その間に浴槽にはいつもより高い42度のお湯を膝下くらいまで入れて浴室のドアを閉めておく。浴室にモアモアと湯気がこもってきたら上は着たまま浴槽のへりに腰かけて「足湯」です。同時に両手も湯に浸せばすぐに身体ごとポッカポカ。こうなればもう寒くないので浴槽の中で立ったままシャワーを浴びることが出来ます。
温泉の足湯で温まった思い出からわが家の足湯誕生ですが、とりあえず過ごせてはいても足元のお湯に浸りたい衝動はなかなかのもので戦いは辛い(私的には大袈裟じゃないのです)。

カレンダーに付けた「入浴可」の付箋まではあと5日です。



3泊4日の入院(3)色々

2024年12月09日 | 入院


入院して最初の食事(1日目夕食)
薄味で私の好みよりご飯が柔らかい以外は器まで暖かく美味しく完食。
廊下に張られた1週間分のメニュー表を見て明日は美味しそうと思ったのにその日は手術で絶食日でした。
好みはともかく時間になって廊下で食器の音がするとすぐに台を準備して配膳されるのを待ちました。子供みたいだと思いながら・・・。



スマホの自撮り写真を見て

点滴セットやベッドあたり
なぜか点滴スタンドが斜め、本当はちゃんと立ってました

入院前に必要な物は出来るだけレンタルすると決めて申し込み、2週間分前納で7,000円を支払いました。1日500円で私は入院4日間なので500円×4=2,000円 最後に5,000円の返金がありました。とても安くて大助かりでした。パジャマは一応2日に一度の取り換えなのですが汚れれば取り換え自由。私は吸い飲みの水をこぼしたりズボンを汚したりして取り換えていただきました。他には交換して頂けるバスタオルとフェイスタオルがあり雑貨類(コップ、歯磨きセット、ティッシュ1箱分、テレビイヤホン)は持ち帰りでした。マスクも申し出ればいただけたようですから500円はお得です。入院前には「あのレンタルパジャマは可愛くない」とも聞きましたが、今の私に可愛い必要は全くない。おかげで入院の荷物が大幅に減りました。で、バッグに絵具も本も入りました。
病院の廊下を歩く人を見ていると6割くらいはレンタルパジャマだったような気がします。もっとも長期入院の方には割安ではないかもしれません。自分のパジャマを着ている方は長期のように見えましたから。




帰る前にサロンから見た最後の風景 6日11:12
時間があればここで外を眺めたりスケッチしていたので看護師さんが「やっぱりここでした」と見つけて下さって連絡等をいただくこともありました。


入院4日間を思い出すと、第1は看護師さんたちの忙しそうな事、いつも時間を置かず優しく答えて下さってとても安心でしたが、これは大変なお仕事だと改めて感じました。寝返りを打った時にナースコールを押してしまっても「どうされました?」とすぐ返事。私の不注意でパジャマを汚してもサッと着替えさせてもらい仕事を増やしてごめんなさいと謝りたいほどでした。渡される薬の念入りな確認も大雑把な私には驚きです。
今回受けた手術は数年前の説明とは違う方法でしたが医療の進歩は身体の負担が少ない方向へ進み今回私も恩恵を受けました。最先端を歩かれる先生と病院が近くにあったことにも感謝です。






明るく清潔感のある病院でくつろげるサロン等もあることは気持ちの沈みがちな患者や家族にとってはとても有り難いことだと思います。かつて夫が3度長期入院した3か所の病院のどれもが古くて病室は狭かった。今はそれぞれ建て替えられたと聞きますから今だったらと。あの頃は屋上に洗濯物を干しながら広い空を見て一息ついていました。

退院して誰にも気兼ねしないで過ごせる家がやっぱり1番だなと思っています。入浴許可は10日後、自転車に乗れるようになるまでにはあと5週間。自由に動けるようになるまでもうしばらくゆっくりのんびり過ごそうと思っています。

「3泊4日の入院」これで終わります。
ありがとうございました。



3泊4日の入院(2)

2024年12月08日 | 入院

3日目 14時半ごろ歩けるようになり初めてテラスで描き始めたのですが座っていられず中止 


入院3日目の朝、まだ点滴の管につながれて起き上がり禁止中。少しベッドを起こしてもらい朝食でしたが私にしては珍しく完食できず。暖かいタオルで背中を拭いてもらい歯磨きの介助を受けて、やっぱり病人だわと思う。この頃になると寝たままでも吸い飲みでこぼさず飲めるようになりました。始めの頃は顔の上や肩などにこぼしていましたから上達したのです。
そしてお昼頃には点滴などの体に付いていた管が全て取れて自由の身になりました。その後看護師さんに見守られて先ずはベッドから立ち上がる…が、力が入らずよろける。数メートル先のトイレまでフラフラと。この後何度か何種類かの検査があって合格すれば4日目退院らしい。まだふらつきもあるし傷口には血が滲んでいるしでもう退院?早くないかと看護師に聞くと「3日目退院の方もありますよ」って。私は年齢的な事と独居が考慮されて4日目退院となったようです(想像ですが)。



少し時間がたってもう一度描く 3日目の名古屋駅方面



3日目夕方 テラスから名古屋港方面 遠くに名港大橋が小さく見えていました。


自由に動けるなら痛み止めの効いているうちにと3か所のテラスまで歩く。歩けば手術前から履かされている窮屈な弾性ストッキングも脱いでいいらしい。ややへっぴり腰でも歩けることは有り難い。自販機で水もジュースも買える。今回の入院で驚いたことの一つが食事にお茶が付いていない事でした。以前夫の何度かの入院中は食事の頃に廊下に出されている大薬缶からお茶を貰っていましたし、1人ずつ配ってもいただけました。今回はそれが無いので自販機で購入して床頭台の下にある冷蔵庫に入れました。



3日目の夕方


夕方6時過ぎ担当の先生が部屋に来られていくつかの質問のあとに「それなら明日の退院で大丈夫だな」と。「あとは大事なのは便秘をしない、重いものを持たない、無理しない」と言われ半年後に修理した部分が落ち着いていれば成功なのだとか。これからもまだ油断はできません。

3日目の夜は気持ちも楽になって少々痛くてもテレビのプレバトなどを楽しむ余裕も出来ました。スケッチをしたりテレビは見られたけれど本には集中できずに薄い本なのに半分読んだまま、頭の中は普通ではなかったようです。



4日目の朝


4日目は退院なので8時の朝食前にさっさと着替えて辺りを片付ける。入院中の請求書が出るのが11時ころらしいので本当に退院できるのは支払いを済ませてから。それまでには娘が来てくれることになっていて手続きの色々を頼めるのが有難い。料金の支払い、テレビカードの残金払い戻し、病院で借りたパジャマなどの前払金の清算など色々あるのです。
娘と病院を出たのが11時半。まだ車のシートに座ると痛いけれどあっという間の4日間でした。こんな短い期間で開腹せずにお腹の中の不具合を治すことが出来る医学の進歩、それを受けられることに本当に感謝です。

今日で手術から5日目、まだ姿勢を変える時や咳をする時、長く座るのもイテッ!となりますが1日3回飲んでも良い痛み止め(ロキソニン)の時間を決めたので痛みのコントロールもまぁ大丈夫。ゆっくりのんびりは得意なので当分得意技で過ごすつもりです。

あと1日 病院雑感が続きます


3泊4日の入院(1)

2024年12月07日 | 入院


日赤病院12階から1日目の午後



私12月に入って4日間入院していました。そして昨日退院。
2、3年前からやや気になる事があり主治医から日赤病院を紹介されて受診。担当医は「薬を飲んで様子をみましょう」と薬を出されたのですが、1年たってもあまり変わらないし薬の副作用か眠くてだるい。これを続けるのも良くない気もして手術でさっぱりすることにしました。今年8月初めに手術と決めて担当の先生と私の都合で展覧会が終わった後の12月に入院となりました。今まで私が入院したのは2度の出産と白内障の手術の時だけなので入院らしい入院は初めてのことです

手術といっても開腹手術ではなく・・・と説明は簡単そうでした。簡単でも手術は手術、家を留守にすることになるし早ければ退院まで5日でも場合によっては10日くらいかかるかもしれないらしいので、あちこち連絡したり退院後の暮らしを予想して買い物もと入院の日まで結構大騒ぎしていました。



1日目 鈴鹿山脈の向こうに夕日が沈み茜色の空


入院したのは名古屋中村日赤、病室は12階、4人部屋でしたが結構広くてきれいですし何より共用サロンからの眺望がすばらしい。正面は名古屋駅ビル群を望み反対側は鈴鹿養老の山並みに伊吹山、もっと北の山々が広がっていました。関が原から伊吹山辺りはいつも雲がかかり見えることは少なかったのが残念と言えば残念でしたが、日の出と夕日のすばらしさは治療で入院していることを忘れるほどでした。



1日目の夕日


入院初日は説明と検査が少々あるだけなので暇。夕方には30分間シャワーも使えてボディソープやシャンプーリンスも備え付けられていて、終わればヘアドライヤーを借りて部屋の洗面台で髪を乾かすと何だかホテルにいるみたいな気分。暗くなれば持参した本を読んだりラインを送ったりと全く緊張感はないまま…、早寝しました。


2日目は9時から手術。この日は1日絶食。食事もとれないしそれまで検温や血圧検査しかないので時間までサロンで朝日を見てました。



2日目の朝日


いよいよ病室から看護師さんと手術室に向かう時も病院のホームページで手術当日の手順は動画の説明を見ていたので「・・・うんうん」と言った感じです。手術は半身麻酔(脊髄くも膜下麻酔)でしたから先生と看護師さんの会話は聞こえても内容は聞き取れないまま、ウトウトしたり壁の大きな時計を横目で見ては「まだ30分か」とか「開始60分まだまだ・・・」とか思っているうちに「〇〇さん終わりましたからご家族の方に連絡しますね」と看護師さんの声。時計は132分でした。受信用のPHSを持って院内で待っていた娘と、ベッドごとゴロゴロ病室まで。「目をつむっていてください」と言われてもそっと目を開けると天井が動いて眩暈がしそうな気がしてまた目をつむる。

部屋に戻ればベッドの脇に大きな袋を下げた点滴スタンドを立てナースコールのボタンを渡され、すっかり病人になりました。
電気毛布を掛けてもらっても寒くて震えてはいましたが(室温24℃)麻酔の注射も痛くなかったし手術中も痛みは無いし、案外楽だったと思っていたのは夕方まで。夜になると看護師さんに訴えても「痛み止めの薬は時間を空けないと使えません」と言われてがっかり。やはり大怪我したようなものなのだと分かりました。痛み止めがいただけて眠ることが出来たのは夜中の2時過ぎでした。
以前絵の教室にいらした消化器外科の先生は「75になって初めて手術を受けましたが、こんなに痛いものだったとは、若い医師も1度は自分も手術を受けるといいのですがね」等と言われていましたから、やはり術後は痛いのがあたりまえのようです。

この後3日目は次回に。


結婚式の前撮りに出会って

2024年11月30日 | 名古屋市政資料館

いただいた「みかん」



いつも利用する施設が改修工事中なので私のハガキ絵の教室は名古屋市市政資料館の会議室をお借りしています。ここは朝ドラ「虎に翼」で初めの頃によく登場したロケ地でもあります。
先日教室が終わり出口の方へ行くと結婚式の前撮りらしいカップルが何組も撮影中でした。その日はいつもより冷え冷えした日でしたが花嫁さんは肩を大きく開けたドレスでにこやかにポーズをとられたり建物前を歩かれていたり、花嫁花婿さんや友人らしい方達と記念撮影等など・・・。「若いっていいわねぇ」と私が言うと隣にいた方が「・・・あの方たちのこれから50年、大変よねぇ」と。そして「繰り返すのはもういいわね」とも。はたから見ているととてもお幸せな50年だったろうと思える方ですが、意外な一言に私が知らないだけで山も谷も超えて時には大波にも合われたのかも知れないと思いました。

若いカップルが金婚式を迎えるころ世の中はどんなに変わっているでしょうか。その間に子供を育て両親を送り暮らしを支える仕事もしなければ。そのどれもが予定通りに行くとは限らない。晴れた日もあればも嵐の日も、先ずは2人揃って健康で金婚式を迎えられますようにと祈る気持ちになっていました。

初冬の冷たい風の中でもにこやかにカメラに納まる花嫁さん、幸せいっぱいの姿を見ながらそれぞれ自分の50年を重ねて複雑な気持ちの私たち(ババさん)でもありました。



花嫁さんの写真をブログアップは?と思い写真はナシ。


朝9時、エレベーターに通じる入口の開くのを猫さんと待つ。


お借りしたのは旧「第壹號法廷」こじんまりした部屋



ご近所さんにいただいた「マイヤーレモン」






第35回彩林展(ブログのご縁)

2024年11月25日 | 彩林展

「こんにちは!」案内ハガキに使用・Hさんの作品



「栄の街」Iさんの作品(優しい夕焼けの色が写真では出なくて・・・)




「愛しい人」Kさんの作品



「ロワール地方」Wさんの作品

作品は全て和紙(書道用の薄い紙・楮紙)で描いた後で裏打ちしています。


24日彩林展は無事閉会することが出来ました。会場までお出かけいただいた方、遠くからブログで応援して頂いた方も有難うございました。今回は会期中雨に降られることも無く過ごせたのも有難い事でした。
彩林展は毎年秋に開催していますが、来年秋にはギャラリーのある愛知県芸術文化センターで3年に1度のトリエンナーレ展が開かれる予定で一般は利用できず、私たちの展覧会は2026年の年明け頃になりそうです。






会場の受付に座っていると色々な方が来られて驚くことも度々。何か話をされそうなご様子に「絵を描かれますか?」と聞けば「今向こうのギャラリーの展覧会に出しとるんですわ」と。どんな絵か尋ねるとスマホを取り出して保存してあるご自分の絵を見せて下さるのですが、絵が出てくるまで少しばかり時間がかかるもののスマホの画像はビックリするほど精密なサグラダファミリアのボールペン画でした。あまりに細かい絵にお年を伺うと「94です」と。94歳でこの細かい絵を描かれるだけでなくスマホを使って保存したり編集したりと…まぁそちらの方に驚きました。

それから会場で出会った方の中には「ブログ見てますよ」と言われる方が数人いらして、その方達のブログも教えていただきました。ブログは見ていただいていてもお会いするのは初めてで「有難うございます」から始まるブログの話。一緒に来てくださったその方のご友人方は「ブログでの知り合い・・・そう言う時代なのねぇ」と。ホントそういう時代なのです。
新しいお知り合いのおかげでgooブログしか知らなかったのにでAmeba、JUGEMなど色々なブログがあることも知りました。どの方のブログもご自分の絵をアップされていて充実した内容でした。若者だけではなくシニアさん達の情報もネットの中で飛び交っている・・・そういう時代にほとんど分からないままでも何とか私も乗り遅れずに居られることも嬉しいことでした。

会場のある12階には2つのギャラリーがあり、お隣はボールペンで描く曼荼羅と水彩画の展示でした。主宰者の方は「「新しい手法なので皆さんに知っていただきたいのですが、この会場は来場者が少なくてね」と。確かにそこが最大の難点で、今回の「彩林展」の入場者も6日間で452人でした。もちろんただ多ければ良いというわけではないですし、静かな会場でゆっくり見ていただきお話しできるという事は利点でもあると思っています。
40年近く前、彩林会を立ち上げられた早川日出男先生が気に入られてこのギャラリーが出来て以来ここで開催されてきた「彩林展」です。2026年新春またこの会場で展覧会を開催したいと思っています。



いただいた花・会場は生花禁止なので家で楽しませていただいています。

第35回彩林展はここまで、ありがとございました。


第35回彩林展(会場での出会い)

2024年11月22日 | 彩林展

「時雨の後 嵐山」私の作品ー4
昨年12月に訪れた嵐山、朝9時前の渡月橋はまだ人も少なく、時雨が止むと山には霧が沸き上がる雄大な眺めでした。乗るはずだったバスを見送って川岸でのスケッチをもとに描きました。どうしても画面に背景が写り込む…。



「上高地」私の作品ー5 
ハガキサイズ5枚
 












展覧会3日目、4日目も穏やかな晴天でした。
21日は午前午後とも会場当番なので早めに会場に行き10時に部屋が開けばあの人この人と次々と・・・多くの方とお話しできました。


丁度会場が静かになった時 ↑この絵の前で男性が立ち止まられたので話しかけると「ここへ最近行ってきました」と。「いつ頃?」と聞けば「10月の終わりごろ休暇村のツアーで行ったんです」と。あまりに同じような話なのでよく聞けば私が参加した同じツアーの参加者の方でした。たった11人のツアーだったのにお互いに顔の記憶が無くて「あの時道の真ん中で絵を描いていた人?」「そうです」と私。「線を描く色鉛筆を教えていただいた方ですよね」と私が言えば「あなたでしたか」といろいろな思い出がつながりました。1泊2日のツアーでしたから同じテーブルで3度は食事をしたはずなのですが、記憶がないなんて自分でも驚きでした。
その方は私のこのブログも見られたことがあるとか「最近はしばらく見てないですけど」と。展覧会も今回だけでなく以前も来ていただいていたそうです。それなら会場で何度かお会いしていたのかもしれません。今日もし絵の前で声を掛けなければ気づかずそのまま過ぎたでしょう。「今度また休暇村で会いましょう」とお別れしましたが何とも不思議なご縁にびっくりでした。







楽しい話もあれば、古い友人のご主人がいらして「女房は手術後で来られなくて」とか、別の友人のお姉さんからは「妹は車いす生活になって出かけるのが難しくて」とか悲しいお話も続きました。
帰られる方達と「元気で!また来年ね」とかわす言葉は毎年同じでも今まで以上に願いながらになりました。

また次に続きます。

第35回彩林展 (搬入と1日目)

2024年11月20日 | 彩林展

「彩林展」会場入り口


愛知芸術文化センター12階 窓の外には屋上庭園と街のビル群が広がります



「おんたけ休暇村」私の作品ー1
10月下旬に1泊2日で出かけた休暇村でのスケッチをもとにF6くらいの和紙に描きました



「中山道大妻籠宿」私の作品ー2
この絵もおんたけ休暇村に出かけた時に立ち寄った大妻籠宿のスケッチがもとです



「晩秋 祇王寺」私の作品ー3
昨年12月晩秋の京都を1人旅した時の風景です。ここは平家物語に登場する「祇王」が平清盛の寵愛を失って母と妹と共に出家し入寺した悲恋の尼寺。奥嵯峨の木立の中の小さな草庵がとても印象的でした





11月18日は彩林展の搬入日でした。同じ会場で何度も展覧会を開いてきたので会員5名全員での飾り付けは役割などは決めなくてもそれぞれ出来ることをする。お仲間のご主人のお1人が毎回高い位置のフックの取り付けやライトの設定などをしてくださって大助かりです。1人3点から6点出品、私は5点の出品。並べ終わって見回して「今回もいい感じねぇ」と褒めあって、これが趣味の会の良い所だと思っています。



19日は展覧会初日。寒いけれど快晴♪
私は午後からの会場当番なのでお昼頃に会場へ。お1人ずつゆっくりお話しできないほど懐かしい方達が次々来ていただけて、うれしい初日でした。なかでもお身体の不調で何年もお会いしていなかった方が杖をつきながらも来ていただけて大感激!案内ハガキなど出してもかえってご迷惑ではとためらっていたのですが、お顔を見てここ数年の出来事を伺って、安心しました。展覧会は1年に1度お互いに無事を確かめ合える機会でもあります。




他の作品はまた次回に。

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