平方録

九品仏を拝んで極楽をのぞかせてもらった

昨日はわが二合会の初句会。
東京は世田谷の自由が丘から東急大井町線で一駅西に寄った九品仏の浄真寺で吟行した。

その昔、九品仏駅はわけあってしょっちゅう通っていたのだが、降りるのも初めてなら寺に詣でるのも初めてで、大きな木立に囲まれた堂々たる雰囲気の漂う古刹だった。
島式になった1本しかないホームの端のスロープを下って改札を抜けると踏切で、すぐ左に折れると最初の交差点が参道入り口になっている。
古木の松が並んだ参道は一直線に伸びていて、長からず短からず。歩いていくうちにどんな寺なのかと期待を膨らませるに十分な距離と言える。

寺の見どころは駅や地名の由来となった「九品仏」で、本堂の向かい側に3つ行儀よく並んでいる阿弥陀堂に安置された、それぞれ3体づつ合計9体の阿弥陀如来が祀られていることである。
仏像には阿弥陀如来のほか大日如来などの如来のほか菩薩や観音などたくさんの仏があるが、ボクなんかそのどれもありがたいし、逆に言うとどれだってすれ違う人のような存在でもあるのだ。
それでも強いて言えば、阿弥陀如来は限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされている西方浄土の教主なんだそうである。
「南無阿弥陀仏」と唱えて阿弥陀様を敬えば必ず極楽浄土に連れて行って下さるありがたい仏様のことらしいのだ。

まぁ、もともと何かにすがろうという気持ちはあまり無く、したがって阿弥陀様も仏の中のワンノブゼムである。
でもずらりと9体が並ぶ様はそれはそれで壮観で、圧巻でもあり、葉をすべて落とした冬ざれの木立の先を通して降り注ぐまだ弱い太陽の光を浴びた3つの阿弥陀堂を眺めていると、この寺が下町にあったならどれだけの人でにぎわったことだろうと浅草の浅草寺の賑わいなどが思い浮かぶのだ。
それくらい広い境内は静かなのだが、西方浄土というところもまた、かくやの静けさを持ったところなのだろうかと、思わず想像してみたりするのである。

セミしぐれが降り注ぎ、真夏の日が傾きかける時刻に再訪してみようかなという気持ちにさせられた。
たっぷりの日影があって、多摩川から吹き上げてくる川風が心地よさそうである。
そして自由が丘辺りのネオンと喧騒には近寄らず、地元の縄のれんでも探してキンキンに冷やしたハイボールでもひっかけて来るってのもアリだなぁと思うのである。
ボクにとっての極楽浄土はそういう意味でどこにも存在するんである。

句会の兼題は「春を待つ」。以下はわが句なり。

 禁漁や寝返り意のまま春を待つ

 待つ君の鳴く声こそが春印

 坂道にスコップ並ぶ雪の朝

 雪やみて広がる青空「四季」を聴く

 春立ちて九体阿弥陀のありがたや



松の古木の参道が続く








3つ並ぶ阿弥陀堂はフレームに収まり切れず…

コメント一覧

高麗の犬
たしかにトイレない。
あの玄関でトイレ貸してくださーい!は言いにくい。墓参りの時はだいたい九品仏の駅までガマンします。
heihoroku
Re:おっ!
高麗の犬さま

檀家とは恐れ入りやの阿弥陀仏。トイレ探したんだけど本堂に上がらないとないんだよね。敷居が高いや。玉に傷。
高麗の犬
おっ!
我がエリアにお越しか?!檀家であります。どの季節も結構な寺です。駅の反対側に縄のれんがあるか知らないけどテキトーに店はあります。線路のそばには美味しいケーキ屋があり、奥様にお土産にしたらお喜びだったろうに。電車から降りられてよかった。ホームが短いからはしっこの車両はドアが開かない(笑)
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