そう書いた3日後の日曜日、円覚寺の日曜説教座談会に行ったら参加者全員に管長の横田南嶺老師から新刊本が配られた。
老師の法話にたびたび登場する仏教詩人の坂村真民の詩集である。
出版社の依頼により7000を超す作品の中から百編を選びだした「坂村真民詩集百選 はなをさかせよ よいみをむすべ」である。
いただいた詩集のページを手繰っていて、またりんごの詩に目が止まった。
「いんどりんご」と題する詩である。
嫁にくるまで世間の苦労を
あまり知らずに育った母は
父が亡くなって
貧乏の底にいても
思い切った買い物をした
わたしがうしろから
もういいでしょうなどというと
だまってついておいでと
おこったような顔で
言うのであった
胃腸の弱いわたしは
母がいかやたこを買い
目ぼしいものがあると
またすぐ魚屋に入ってゆくので
いつもうしろから呼びとめて
母をふきげんにさせた
バナナの大きい一房を買ったかと思うと
高価ないんどりんごをまた買うのであった
母と石手寺の五十一番札所に
おまいりしたときも
その夜いんどりんごの
みごとなものを買って
わたしに食べさせてくれた
これが四国での
母との別れだった
いんどりんごを見ると
いつも母がうかんでくるが
そのいんどりんごすら
あまり買いきらず
一山百円のりんごでかんべんしてもらう
母への供物である
坂村真民がまだ小学校の低学年だった時に校長先生をしていた父親が世を去る。
葬式が終わった後、乳飲み子だけは手元に残して里子に出せ、と一晩中説得する親戚の言うことを頑として受け入れず、女手一つで5人の子を育てる決心をし、それを成し遂げたお母さんに対する坂村真民の思いは、いくつもの詩に映し出されている。
これもそのうちの一つで、貧しかった戦後間もない時期にしかも女手ひとつで5人の子どもを育て上げる困難さを思うと呆然とする思いなのだが、それを成し遂げたお母さんに対する思いは、それゆえに計り知れないくらい深いのだ。
そして、あの時代のいんどりんごの存在というものも特別で、ボクの家も決して裕福ではなかったから滅多に口にすることもなかったが、極々たまに頂き物があったときに口にして、当時一山いくらで売られていた「国光」とか「紅玉」の酸味の勝ったりんごしか知らない舌に、世の中にはこんなに甘いりんごもあるのだと教えてくれたりんごでもあるのだ。
存在そのものもすっかり忘れかけていただけに、いんどりんごがよみがえったことの懐かしさも加わって、この詩は胸にグッと来たんである。
そして「いんどりんご」はもう一遍選ばれていた。
「母に」という題である。
あなたにはゴーリキーの書いた母のように
いつも一つの革命があった
早く寡婦となられ
五人の子を一人でそだてられたあなたには
常に前進的なものがあなたを支配していた
あなたのボストンバックにはいつも
そういう本がはいっていた
一途に親鸞に求められたのも
安心立命のためというより
親鸞の革新的なものが
あなたを捕らえていたにちがいない
世界評論に河上肇氏の自叙伝が載った時
一番読みたがっていられたのはあなただった
はるばるわたしを訪ねられた時
その本を見出された時のあなたの喜びを
今もありありと思い出します
それよりもなお遠ざかりゆく船の上から
こみあげてくる嗚咽を押さえながら
桟橋に立っているわたしたちに
その雑誌をいつまでも振っていられた
あなたの姿を思い出します
七十に近いあなたは炬燵にもいらず
飯を炊きながらいつも本を読んでいられた
今年も三人の孫たちがあなたを待っています
冬の荒海もやがてやがておさまりましょう
魚もおいしくなってきます
いつものようにインド林檎を持って
ひょっこりやって来て下さい
これも母への深い思いが込められた、胸の詰まるような詩である。
こういう詩に接すると、ボクは言葉を失ってしまうのだ。
今年の秋は期せずしてリンゴのいただきものが重なった。
どれも儀礼的なものとは一味違った趣の下に届いているのだが、思いもよらないリンゴの当たり年ぶりが嬉しい。
横浜イングリッシュガーデンの秋バラの見ごろは今月いっぱい
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