花見に酒を持っていくのは良いが、花に集まる鳥も見ようと双眼鏡を手に花見に出かけたとすると、これはテロやよからぬ犯罪の下見行為だとされて、警察にしょっ引かれ、場合によっては拷問にかけられて考えてもいない犯罪を「白状させられる」かもしれないのだ。
花見に出かけなくたって、町内会には必ず権力の手先になって隣近所に住む人間の普通の営みをじっと監視するような輩が1人や2人必ず出てくるものなのだ。
そういう輩は、目立たぬように何気ない態度で井戸端会議での会話や、根も葉もないうわさ話を聞き込んでは尾ひれはひれをつけて警察にご注進ご注進!と得意げに通報するのである。
そんな1億総監視社会になったら息が詰まってしまうに違いない。
戦前の日本は治安維持法という悪法の許で、どれだけの無実の市民が警察にしょっ引かれ、拷問を受け、ひどい場合は獄死したり、仮に生き延びたとしても廃人のような体にさせられたりしたことか。
横浜事件をでっちあげられ、ひどい拷問の果てに歯を1本残らずボロボロにされ、心の奥に深い傷を負った雑誌編集者の話をひざ詰めで聞いたことがあるが、それはひどいものだったようである。
この事件では何人かが命を落としているが、「生き延びられたのは運が良かったからかもしれない」と語り、無実の証明と名誉回復、損害賠償を求めた裁判闘争を続けていたのをよく覚えている。
そんな時代は過ぎ去りし過去のものと思っていたが、ひょっとするとボクたちはその理不尽で恐怖に満ちた社会の入り口のもう真ん前まで連れてこられて、その前に立たされているのかもしれない。
渡辺白泉という俳人がいた。あまり有名ではないが、よく知られた句がある。
「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
これは昭和14年(1939年)に詠まれた句で、昭和12年に始まった日中戦争が泥沼化し始めたころである。
昭和13年に国家総動員法が制定され、昭和16年には悪名高き治安維持法が生まれている。
白泉はそういう時代の空気を嗅ぎながら、きな臭い時代の雰囲気を敏感に感じ取って詠んだのである。
不気味で得体のしれない恐ろしいものが、薄暗い廊下の奥でぼぉ~っと立ってこちらを見ているように感じたんである。
考えてみれば恐ろしい描写である。
アベなんちゃらの心の中に、こうした過去の暗い時代というものがどう投影されているのだろう。
ボクもその時代というのは直接知らない世代だが、それでも様々に暗く理不尽だった時代だったことは横浜事件の被害者から直接話を聞いたり、書籍や映画などでずいぶんと見聞きしてきたものである。
平和憲法というものもあって、もうあんな時代は2度と出現しないだろうと思っていたのだが、昨年の「戦争法」の成立も含め、まるでクーデターでも起こったかのように、次々と憲法違反の法律ばかりが成立してゆく。
国民にきちんと知らされていないことが問題なのだ。
内容は「共謀罪」なのに、オリンピックにテロが起きたら大変ですからね、それを防ぐためですからね、と「テロ防止」を口実にして誤魔化そうとしているのである。
国民のための法律ではないんだということが、そのことひとつとっても分かるのだ。
国民の自由を奪い、権力にひれ伏せさせ、権力が好き勝手にふるまうための法律なのだ。
そして、もうとっくに無視してしまっているが、憲法を改正して権力のための国にしようと目論んでいるのである。
こういう実態を知れば、それでもいいですという国民は、ほとんどいないだろう。
自由が奪われてしまった後にいくら悔しがっても、それでは後の祭りなんである。抵抗する術なんて無くなってしまっているんだから…
以下は横浜イングリッシュガーデンのバラから。2枚目は「プリンセス・オブ・ウエールズ」(ダイアナ妃)に捧げられたバラ
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